屁理屈を言おう。
子供の頃から生意気で、しょっちゅう、親や先生に口答えをしていた覚えがあります。
そんなときに、いつも決まって、こんなキメ台詞で怒られたものでした。
「屁理屈を言うんじゃない!」
その、「屁理屈癖」が今、こうやって世界のいろんな文化や価値観の人達とふれあう中で、役立ってる気がします。
子供の頃は、相手を論破する為だけに屁理屈を言っていましたが、さすがに今はそんなに子供じゃないので、そういうことはしません。笑
でも、「自分の意見とは関係なく、筋の通った反論」を素早く、深い形で探す能力が生きている、ということです。
例えば、「TPP反対」と言われれば「TPP賛成」といってみて、そのあとで誰かに「TPP賛成」といわれれば「TPP反対」と言ってみる。
「資本主義は搾取のシステムだ!」といわれれば「いやちがうでしょ」といってみる。そして「資本主義は世界を良くしてる」といわれれば「いやちがうでしょ」と言ってみる。
笑
ほんとーにめんどくさい人間ですね。ただのアマノジャク。笑 将来上司になる事があったら、こんな部下、ほんとーに欲しくない。笑
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さて、なぜこれが大事なのかというと、「自分の頭で考えつく程度のアイデアや理論なんて、世界のどこかで必ず誰かが既に考えていることだから」です。これが一つ目の理由。
「現実は小説より奇なり」とはいったものですが、そういうことです。しょせん僕の頭が及ぶ想像の範囲なんて、たかが知れてる。本当の世界はもっと広い。自分が考えつくあらゆるアイデア、理屈なんぞ、他の国、文化圏、価値観では、当たり前として受け入れられてる可能性がある、ということです。①
二つ目の理由は、「屁理屈」であろうとも、自分が一生懸命考えた「理屈」であれば、少し愛着がわく、ということです。屁理屈を言いまくっているうちに、それが本当に自分の意見になったりすることも在るのかもしれません。②
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①と②を組み合わせると、こんな事が言えます。
「屁理屈を言いまくっているうちに(めちゃめちゃアマノジャクになると)世界中の人の異なる意見を自分の意見として疑似体験できるようになる。」
言い換えれば、「いろんな人の立場になって考える事ができる」ということです。
これは、グローバル化した世界で(こういう陳腐な表現は使いたくないですが。。。笑)、とても大事な事だと思います。
周りを見れば、モノは世界中から来ている(例えば日本に住んでいたら、周りのものの9割くらいは日本以外の国から来てるんじゃないでしょうか。服とか、靴とか、電子機器とか、いろいろ。。。)
なのに、メンタリティは全然グローバル化してない気がします。もちろん、日本に限らず。
(これは別の記事で別途書くべき、結構おもしろいテーマな気がします。)
なんか最近、宗教間、文化間、民族間(特に最近は移民問題とか)の対立が多い様な気がしてますが(これはニュースの情報によるものなので、バイアスがかかってますが。→参考 Availability Heuristic: http://d.hatena.ne.jp/Vivalavida0423/20140208/1391884219)、物質の世界はグローバル化してるのに、精神的な世界は全然グローバル化していないことが原因の一つなんじゃないか、なんて思ってます。
なので、世界のいろんな宗教、文化、民族の人がどんな考えをもってるかについて理解する事は、人類の共存にとって極めて大事な気がします。
だから、
結論:屁理屈を言おう。