明けましておめでとうございます!(今年の抱負)
遅くなりましたが明けましておめでとうございます!
さてさて、日本人らしく、元旦に、「今年の抱負」なんちゅーものを少しだけ考えてみました。去年を振り返りながら。
で、今年の抱負にしよう!と思ったキーワードの一つが「自律」です。
「自立」ではなく「自律」です。自分を律する事、かな?
今までの人生、特に大学以降、ほんとーに自由ーにやりたーい放題生きてきた訳です。笑
その裏には「自分の人生は自分で決める」なんちゅーちょっとした信念があったわけです。
その信念は変わっていないし、これからも変わらないと思うんだけれど、少しだけその方向を変えてみようと思いました。その理由をちょっといつもの様に理屈っぽく(笑)書いてみます。
「自分の人生は自分で決める」という考え方の更に裏側には「自分で選び取った道がベストだ」という考え方があると思います。
それは、ちょっと学問っぽく言うと、「理性に対する信頼」の様な気がします。
人間は理性があって、その理性でもって思考して、選択、決断をしていくのが良い、という、いわば「西欧的」な考え方です。
そして、これは「自由」の問題とつながります。「自由」とは、選択肢を持ち、その中から自分の意志で物事を選べることだからです。
「より多くの選択肢を持ち、その中から自分に最前の選択肢を自分の意志で選び、生きて行く。それが自由であり、幸福の条件である。」というのが一般的な考え方でしょうか。
ただ、それに対して最近色々な学問的な反論とかが出てきている気がします。
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例えばこれ。
http://www.ted.com/talks/barry_schwartz_on_the_paradox_of_choice.html
スピーカーはこんな事を言っています。
「西欧では、幸せになる為には自由になる事が大事だとずっと考えられてきた。自由になるとは、より多くの選択肢を持ち、その中から選択することができる状態のことだ」
そしてそれに対して反論する為にこんな例を持ち出しています。
①会社が退職金運用商品を社員に紹介するとします。そうすると、沢山の運用商品(沢山の選択肢)を提示した時より、2つ3つだけ提示した時の方が購入率が上がる、という例です。沢山の運用商品があると、どれを購入したら良いか分からなくて、結局購入しなくなってしまう、という例です。
「沢山の選択肢」は「自由」よりも「立ちすくみ(Paralize)」を引き起こしてしまうんではないか、ということです。
②ジーンズを買いに行ったとします。そしたら、現代のお店には沢山のサイズ、色、スタイル、ブランドのジーンズが並んでいます。「沢山の選択肢」です。沢山の選択肢があるので迷います。一瞬、①の様に「立ちすく」んでしまいますが、これに決めた!ということで一本のジーンズを購入したとします。でも、その後で後悔を始めます。あの色の方がよかったんじゃないか、やっぱりあっちのスタイルの方が自分に似合うんじゃないかetc etc.
選択肢の多さは自由をもたらし、自由は幸福をもたらすはずなのに、あれれ。ということです。
自分にも思い当たる事ないでしょうか?僕は結構あります。笑
この講演でもこんな例が出ています。
http://www.ted.com/talks/sheena_iyengar_on_the_art_of_choosing.html
彼女が日本に留学した時、ある喫茶店に入りました。そして、緑茶を頼んだのですが、彼女は緑茶に砂糖を入れたかったので、砂糖を頼みました。そしたら、店員は、「日本では緑茶に砂糖は入れないものです」と言って断った。
というストーリーです。
彼女はいいます。「アメリカ人的発想から言えば、お客さんは選択肢をもっていて(緑茶に砂糖を入れるか入れないか)、それに応えるのがお店側の役割だ。選択肢を沢山持っている事が幸せに繋がる。それに対して、日本人的発想は、より良い選択肢を知らないのであればこちらが教えてやろう、ということである。」
彼女がもし、この店員の行為で、緑茶文化の奥深さとか、むやみに砂糖とかで味付けしないでお茶の出し方とかを楽しむ日本文化を楽しむ事ができる様になったなら、それはこの店員のお陰でしょう。
「砂糖を緑茶に入れる」という自由を奪われたはずなのに、あれれ。
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さて、これと同じ様な例で僕が一番最近頭を痛ませているのが「パソコン」です。現代人にとって欠かせない必須ツール!!!
さて、パソコンは手元にあれば、ほぼ全ての事ができてしまいます。
レポートの作成からメールのやり取りから電話(Skype)から予定表のチェックからテレビの視聴から、、、、etc etc...
選択肢が多い!自由だ!
で、今の仕事では、僕、結構レポートを書かないと行けない事が多い訳です。「1週間後までに〜について書いて送ってくれない?」「は、はい!!!」みたいな。
で、家でもレポートを書く事が多い訳ですが、パソコンに向かっているとどうしてもインターネットブラウザを開いて、Facebookとか、Hotmail(とか、エッ◯な動画とか。。。これが一番の問題!!!)とかを見てしまう。。。笑
それでどんだけの時間をロスしている事か!!
ということで、今年の抱負です。自分を律しよう!! レポート書いてる時にはエッ◯な動画は見ないぞ!
ということです。
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少し話を戻して、抽象的な話をすると「今年は、少し自分の理性に対する信頼を弱めてみて、周りの人の言う事や、社会の枠や、スキームにハマってみようかな。そうしたら新しく見えてくる事もあるんじゃないか」ということです。
こないだ、あるニカラグア人と話していたら彼女が言いました。
「私、兵役がもしできたら行ってみたいわ。」
彼女は、ばりばりの平和主義者で、戦争嫌い、コスモポリタンな感じなのでびっくりしました。
もう少し話を聞いてみると、「軍隊みたいな、自分とは正反対の場所で、厳しい規律の中で生活してみたら何か新しい発見があるかもしれないと思うの。だから国の為とかじゃなくて自分の為に行ってみたいの。」と言っていました。
これには、「ほーーーーーー」と思いました。
そういうことです。
自分が世界と感じているもの、考えているもの、その中から選び取ろうとしているものは、実は狭いものなのかもしれません。
外から強制される事、枠にはまった事をやってみると、今まで自分の理性では考えられなかった新しいものが見えてくるのかもしれません。
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パソコンには誘惑があるので、そのソリューションを見つけました。
http://www.kingjim.co.jp/pomera/
これは、ワープロみたいなもので、テキストタイプ機能しかついていないデジタルデバイスです。これでもうエッ◯な動画の誘惑に負ける事もない!自分を律するぞ!
ああ、選択肢があるって素晴らしい!!!
ん?