真面目にテキトウする ② - 「知っている」とはどういう事か? -

先日の記事は、この世知辛い世の中(?)において、真面目にテキトウしながら生きる事を極めて無責任に勧めるものでしたが、今回からは、その理論的根拠を固めていきたいと思います。




何故、真面目にテキトウしたほうがいいのか?





今回は、「知っているとはどういう事なのか」という若干哲学チックな視点から考えます。


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前回、真面目が賞賛される理由は、「まじまじと見」(真面目の語源)たら物事が「分かる」と多くの人が思っているからではないだろうか、と書きました。


そして、「まじまじと見」ても「分からない」から、まじまじと見た後はテキトウでいいんじゃないだろうか、という結論を出しました。







では、「分かる」「知っている」とはどういうことなんでしょうか?


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僕はこのテーマについて、国際協力の世界にいるときに考え始めました。


(参考:僕たちは自分が本当に何が欲しいのかを知っているのか?





「貧しい人々は、生活に必要なものがありません。食料だったり、綺麗な水だったり、トイレだったり、電気だったり、教育サービスだったり、保健サービスだったり、金融サービスだったり。だから、それら(=彼等のニーズ)を満たす事が大事です。」

というのが、国際協力の一般的な考え方かと思います。


なので、生計向上プロジェクト、みたいなのをやる前には、「ニーズ調査」みたいなのをやったりします。彼等が本当に何を欲しているのかを知る為に。





でも、この記事にも書いた様に、彼等が何を欲しているのかを把握するのは難しい。


直接「何が欲しいの?」と聞いたら、「お金が欲しい!」と言うに決まってます。上の記事の例で言うと、「コーラが欲しい!」と言うかもしれません。



でもだからって、それが彼等の「ニーズ」なんでしょうか?



もう少し言い方を変えると、彼等は、彼等自信が何を欲しいのかを「分かっている」/「知っている」んでしょうか?

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でも、かといって、僕らが、「いやそれはあなた達の本当のニーズじゃないんだよ!コーラじゃなくて綺麗な水があなた達の本当のニーズなんだよ!」と言うのも傲慢な気がします。



「僕たちはあなた達のニーズについてあなた達自身より分かっている/知っているよ」と言っているに等しいからです。




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そもそも、僕たちは僕たち自信について分かっている/知っているんでしょうか?





欲しい!と思って買ったものが実は必要ないものだったことに後々気づいたり、

入りたい!と思って入った会社が全然イメージと違ったり、

俺の得意分野はこれだ!と思ってた分野が実は全然自分とあってないことに気づいたり。







僕らは僕ら自信についても知らない事ばっかりな気がします。

そんな、自分自身についても知らない僕らが、地球の裏側にいって、「あなた達の事は僕らの方が分かってるよ。あなた達のニーズはこれだよ!」といって何かを差し上げるのは、ちょっと違う気もします。



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最初の問いに戻ります。

「知っている、分かっている」とはどういうことなんでしょうか?



いくら真面目になったところで、つまり、「まじまじと見た」ところで、物事は分からないんじゃないでしょうか?物事を「知る」ことなんてできないんじゃないでしょうか?




これが、僕が前の記事で書いた様に、「自分が知っている/分かっていると思ってるものなんて、実は勘違いなんじゃないか」と考えている理由の一つです。









だから、真面目でもいいけど、真面目だからって物事を分かった/知った気になるのは避けたいよね。ましてや、真面目に物事を分かった/知った気になって、自分の価値観を人に押し付けたりするのは避けたいよね、と思う訳です。






(「知る」とはどういうことなのか、というこのテーマは、心理学や脳神経科学の分野からもとても面白い考察ができると思うので、次の記事はそれらの視点から書いてみようと思います。)