人生という祭り

昔からお祭りという特別な空間、時間が大好きでした。



小学校のときから、運動会や文化祭みたいな特別なイベントが大好きだったし、高校や大学の学園祭は、主催側として関わるのも、参加者側として関わるのも好きでした(どっちかと言うと主催者側の方が面白いと思うけど)。




お祭り好きが高じて世界のいろんなお祭りも回りました。「世界のお祭りジャーナリスト」という職業を勝手につくってそれになろうかとも思いました。(てか多分そういう職業もうあるけど。。。笑)



トマトをひたすら投げ合う事で有名なスペインのトマティーナや、


同じくスペインで開催され、巨大な人形を燃やす火祭り。(万が一に備えて多数の消防車が出動し、住宅街への飛び火を防ぎます。終わりの方とか、もう町中が火事でした。笑 ただの火事。笑)


ワシントンDCの、ハイヒールで徒競走をするハイヒールレース等、


いろんな祭りに参加させてもらってきました。
感謝。



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なんで祭りが好きなのかは分からないけど、多分、あの非日常的な空間時間が好きなんだと思う。そして、その非日常の空間時間の中で出来上がる、特別な人との繋がりが好きなんだとおもう。

(クラブも一種そんなようなもんかな?だからクラブも好きなのかも。踊る方のクラブね。)



非日常的で、一種幻想的な限られた空間と時間の中で、一生懸命楽しもうとする人の姿が好きだし、そこに一緒にいることに喜びを覚える。



そして、祭りが終わった後は、みょうに寂しくなる。「祭りの後の静けさ」が。それで、少しセンチメンタルになる。




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「一種幻想的な、限られた空間と時間」 「その中で一生懸命楽しもうとする人々」



これってなんかに似てないか?

















「人生」も人々が一生懸命楽しもうとする限られた時間と空間な気がする。


そこで起きてる事は「現実」と呼ばれるけど、それは「幻想」かもしれないし。





祭りの後の静けさのなかでセンチメンタルになる時、それが良い感じのセンチメンタルさになる方がいい。




祭りの後の静けさが、清々しい静けさになるような、そんな「祭り」を創っていきたい。