「普通」の定義 ①

さて、例えば今、職場や学校に、足が4本ある人が現れたとします。


そうすると、たぶんその人は「普通じゃない!」と周りから思われるでしょう。このご時世なので、あからさまに言われなくても、皆、「あの人は普通じゃない」と思うでしょう。



さて、今、足が4本になるウイルスがはやったとしましょう。そうして、日本の人口の過半数が足が4本ある人になったとします。



その瞬間、足が4本ある人が「普通」になり、足が2本ある人が「普通じゃない」となるでしょう。




足が4本ある人にも当然選挙権は与えられるでしょう。足が4本ある人は「普通じゃない」と幼い頃から言われて育ったので、同じ境遇の人(足が4本ある人)と仲良くなる傾向にあり、政党を結成し、足が4本ある人からの支持を集め、第一党になるかもしれません。





そうすると、足が4本ある人のライフスタイルにあわせた社会インフラが整っていくかもしれません。

足が4本ある人はその分脚力があるので足が早く、ジャンプ力もあります。

駅から徒歩30分だった場所は徒歩5分圏内になり地価が高騰するかもしれません。家の入り口は地上2階部分に設置される様になるかもしれません。



そうすると足が2本しかない人は困ってしまいます。



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と、こんなことは現実におきないと思いますが、同じ様なことはおきる可能性があります。

もしくは起きています。


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今、Brain Computer Interfaceという技術が進歩をしていますが、これは脳の電気信号を解読して実際にモノを動かしたりする技術です。

手を失った人が義手をつけ、その義手が脳からの電気信号を受け取れる様にすると、義手を思った様に動かすことができる、というような技術です。





これを応用すれば、タイピングしなくても頭の中で文章を思い浮かべるだけでメールが書けたり、さらには、離れた所にあるものを念じるだけで動かしたりする様にすることもできる様になるかもしれません。(電気信号をWifiに変換して離れた所にある義手に飛ばして、その義手を操作することも理論的には可能に思われます。)





そうすると、上で使った4本足の人の様なことがおきるかもしれません。

Brain Computer Interfaceを使っている人は能力が上がり、そういう人々が大多数になれば、そう出ない人は「普通でない」人になって憂き目に遭う、ということです。




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今の社会で「普通でない」(と考えられている)人(例えば、精神障害がある方とか)は、そういう憂き目にあっている、ということです。








でも、「普通」の定義は時代によって変わるので、今「普通」の人が将来「普通でない」人になるなんてことは、歴史的に日常茶飯事的におこります。






どれが良いとか悪いとか、そういう価値判断は別の問題として取り上げるのが良いと思います。







が、一つ言えるのは、今、「普通でない人」を虐げている人は、将来自分が「普通でなく」なった時に、その時の「普通」の人が自分を虐げることを正当化している、ということでしょう。