知らない事すら知らない事はどれくらいあるのか。 〜哲学とマネジメント〜

僕はずーっと自分は社会不適合者だと思ってきましたが(”社会不適合者”の定義はさておき)、どんな風の吹き回しか、今、とあるベンチャー企業で経営に携わっています。

そしてそれが意外と楽しい。





自分が社会不適合者だと思っていた理由は、哲学について考えるのが好きだからです。

エビデンスが大事、なんてよく言われるけど、じゃあ1+1は2だというエビデンスはどこにあるの?
バリューを出せとよく言われるけど、バリュー(価値)の定義はなんなの?
多様性を認めろと言われた場合に、多様性を認めない人は認めるべきなの?
能動的に動け、って言うけど、能動的に動けって言われて能動的に動いてる時点で受動的なんじゃないの?
イノベーションが大事だと言われるけど、金髪で会社に行くことはイノベーティブな考え方じゃないの?
そもそもイノベーションの定義は?
ってかなんでそもそも働くことがそんなに良いことなの?

etc etc.

こんなことをいつも考えている人は、まあ、働くのに向いていないんだろう、とか思っていました。




でも、少しだけ経営に携わってみて、意外と経営と哲学は相性が良いのではないかと思い始めました。

特に、哲学の一分野である、「認識論」という分野と経営は相性が良い気がしています。




なので、ちょっとこの「認識論」と「経営」の関係について簡単にまとめようと思います。

(別に僕は認識論の専門家でも経営の専門家でもありませんが。。。)







さて、認識論は一言で言うと、我々の「知」とか「認識」に関する学問らしいです。

知っているとはどういうことなのか?
認識しているとはどういうことなのか?

を考えたりします。哲学っぽいでしょ?こんなの仕事に役立たなそうでしょ?



さて、ここで我々の「認識」を4つのカテゴリーに分けてみたいと思います。世の中にある「知」は以下4つのどれかに大別できる気がします。
(前にも似た様なの書いてた:http://d.hatena.ne.jp/Vivalavida0423/20170415/1492214606



①:知っているということを知っている事柄(Known Knowns)

我々は、光のスピードがどれくらいかや、パソコンがどういうふうに作られているかということを知っています。これが知っているということを知っている事柄。仕事では、例えば、会計に携わる人達は、どうやって従業員の給与を会計処理するかを知っています。


②:知らないということを知っている事柄(Known Unknowns)

我々は、宇宙がどれくらいの広さかや、円周率の30兆桁目が何かを知りません。(2016年時点では22兆桁目くらいまでは分かってるらしい。。。)これが、知らないということを知っている事柄。仕事で言うと、明日グーグルの株価がどうなるかは正確には誰もわからない、ということを我々は知っています。


③:知らないけど知っていること事柄(Unknown Knowns)

日本語おかしいけど、ちょっと英語にして、Things that we don't know that we knowと言えば少しイメージしやすいでしょうか。
例えば、一流のテニス選手に、どうしたら良いショットがうてるかを解説してもらったところ、彼が言っていることと、ビデオを撮って細かくコマ送りして観察した実際の動きとが違った、という話。彼は実際にはできることを誤って認識していたということです。彼は、どうやったら上手いショットがうてるかを体では知っていたのに認識できていなかった、という例。(ここでは、「認識」の定義を考える必要があって、言葉で説明できないことは認識できていない、と定義するのか、実際に行うことができれば認識していると定義するのかによって話は変わってきますが。。。)
仕事で言うと、、、言えません。なぜなら、言えたら知ってることになっちゃって、このカテゴリにおさまらないから。無意識のうちに周囲に及ぼしている影響とかがこの部類でしょう。


④:知らないということを知らない事柄(Unknown Unknowns)
これについては、何も書くことができません。知らないことすら知らないんだから、それがどんなもんか、説明しようがないのです。知らないことすら知らない事柄。それだけ。





さてさて、これが仕事にどう関係あるんじゃ、という話ですが、こと会社の戦略とかを考える時にとても示唆に富むなあ、と思うのです。



たとえば、よくある、戦略立案の3C(Customer=顧客, Competitor=競合, Company=自社)のフレームワークみたいなのを使うことを考えてみます。


まず、顧客はどんな属性で、何を欲していて、人数規模はどれくらいで、みたいなことを考えます。

次に、競合はどんな会社で、彼等はどんな特徴をもっていて、どんな顧客層をもっている、みたいなことを考えます。

そして、自社の強みや弱みを洗い出します。




さて、考えられる限りのことを洗い出したとしましょう。
そうすると、洗い出されたことは上の①か②にあたるはずです。


「顧客は20代の女性メインで、年収300〜800万くらいで、一人暮らし率が高い」

みたいな情報(知)は①にあたるでしょう。


「競合はA社で、かれらの製品はクオリティが高いことで有名だが、どうやって高いクオリティを出しているかは先方の企業秘密なので分からない」という情報は②にあたるかもしれません。

「自社の弱みは従業員の定着率が低い点だが、その理由は分からない」という情報も②でしょう。



フレームワークで洗い出せるのは、この①と②の部分です。

(③はちょっと扱いが難しいですが、フレームワークで洗い出せなくても自然と実践できていること、感覚的に分かってること、とかでしょうか。)




面白いのは、①②③④の比率をどう考えるかです。

ここで問題になるのは、「④知らないことすら知らないこと」が世の中のどれくらいを占めているのか、ということです。
どれくらいだと思いますか?


それは「分かりません」。


知らないんだから。知らないことすら。

知らないことすら知らない事柄については、その具体例を挙げることもできませんし、それがどれくらいの量あるのかを推察することもできません。あたりまえだけど。



だから、①②③④の比率は、適当に予想するしかない。

もしかしたら人類はもうほとんど全てのことを知ってしまっていて、④の領域に属する「知」なんてほとんど残されていないのかもしれません。以下の様な世界観。

そう思っていれば、この世にある知を(グーグルとかで)全部かき集めてきて、それを全て綿密に分析すればほぼほぼベストな意思決定ができる、というマネジメントスタイルになるんでしょう。「お前らよく考えろおらー!頭つかえー!考えれば分かるんだよー!」ってやつ。




でも、もしかしたら人類が知っていることなんてほとんどなくて、世界の「知」は④が99%なのかもしれません。以下の様な世界観。

そう思っていれば、ハチャメチャで、論理が破綻しまくっていて、サイコロ振りまくって決める様な経営戦略がサイコーだぜぐはははっははああああああ、みたいなマネジメントスタイルになるのかもしれません。

だって論理的に考えて(言語を使って)分析できるのは①と②だけなので、そこをいくら頑張っても世界の1%をカバーできるだけだから。




もし世界が後者の方だとしたら、今まで僕らが習ってきた論理的思考や、分析手法、リサーチ能力はなんなんだったんだ、ということになります。


が、こっちの方が僕はわくわくします。




そんなことを考えながらやる経営は、めちゃ楽しいです。




(次回は③について考えてみます。この記事では③の取り扱いが乱暴だった気がしますが、③を考える為には「言語」について考える必要があるからです。③は厳密に定義すると「言語を使って表現することはできないが、実践できる知」となるでしょう。
①と②は我々が「言語」を使って考えられる範囲ですが、「言語」はどれほど大事なのでしょう?また、「言語」が経営の中で果たす役割はどのようなものなのでしょう?)