部分と全体

ニカラグアという国にいます。

ニカラグアというと、日本では、中南米でハイチに次ぐ最貧困国、と語られる事が多くて、日本の皆さんは、いわゆる「貧困」のイメージをもたれるかもしれません。

でも、いざ来てみると、「貧困国」のイメージとは違って、確かにぼろぼろの家に住んでたり、ホームレスの人やストリートチルドレンがいはするけど、皆結構楽しそうに生活していて、いわゆる「最貧国」のイメージとはほど遠い感じです。これは多分、ニカラグアにいる日本人誰もが言うことです。



さて、今日はニカラグアの話ではなくて、もうちょっと一般的なお話です。



一般に、「情報」って、物事の一部分を切り取ったものだと思います。

旅行が好きな方の中には、実際にその国に行ってみて、行く前に持ってたイメージとは違った、という印象を持つ方も多いと思います。


メディアやマスコミが報道する「情報」はその国の「一部分」であって「全体」ではないからです。これはよく言われる事だと思います。



厄介な事は、その事実を分かっていても、その「一部分」の情報が少なからず「全体」のイメージをつくってしまう事です。「分かっていても」です。

頭では、「報道されてるのは一部分!」って分かっていても、それでもどうしても例えばテロがあったりすると「あの国は危険なのかも!」と直感的に思ってしまう。でも実はそんなことなかったりする。




さて、これをもうちょっと一般化すると下の様な感じでしょうか。





「Aに関する悪い情報を聞いたからAのイメージが悪くなった。でも実際はそんなことなかった。」




これは国のイメージに限定された話ではありません。

”A”の後に"さん"、"社"、"製品"という単語を付け加えてちょっと修正バージョンをつくってみます。


「Aさんに関する悪い情報を聞いていたからAさんのイメージは悪かったけど、実際会ってみると自分とメッチャのりが合った!」

「A社に関する悪い噂を聞いていたのでイメージは悪かったけど、自分には働きやすい環境だった。」

「A製品の悪い評判を聞いていたけれど実際買ってみたら自分はA製品が好きだった」




こういうことって結構あるんじゃないでしょうか。







言いたい事は、「一部分に問題があることと、全体が良いか悪いかは全く別の話」ということです。

どんな人、どんな会社、どんな製品、どんな国、どんな社会にも問題はあるんです。100%完璧なものなんて存在しない。

なんでも「部分」に問題を抱えてて、それを一つ一つ解決していってはまた新しい問題が生まれ、でも、「全体」的には徐々に良くなっていってる、というのが大事なんだと思います。






さて、じゃあ、そのことを”今の時代”をあてはめてみたいと思います。





「今の時代には問題が沢山あります。その一つ一つの問題にフォーカスすると、どれも悲惨なのであたかも世界は悪くなっている様な気分がしてきます。でもどの時代にも問題はある。問題が一つもない時代なんてないんです。全体としては、世界は良くなっています。」


と思います。


まあ、「良い」の定義が難しいんですが。