謙虚さとくりえいちびちー

ご存知の様に(?笑)僕はアマノジャクでひねくれ者なので、「昔から言われている事」とか「良く言われてる事」をそのまま信じることはあまりありません。笑


上司から「お前には謙虚さが足りん」とか言われると、

「”謙虚であること”の定義はなんですか?そして、何故謙虚さが仕事において大事なのかを論理的に説明してください」

とか言いたくなります。笑  あー最悪ですね、将来こんな部下絶対持ちたくない。笑









さて、最近考えてたのですが、”謙虚さ”とはズバリ、”自分を疑う強さを持つ事”ではないだろうか、ということです。




こないだ書いたように、自分を疑い始めると何が正しいかとか分からなくなって、矛盾とか、思考の無限ループにハマって行ってしまう可能性があります。


これは、結構怖い事だと思います。

自分が今まで信じてた事、依ってきた価値が間違ってたかもしれないとなると、何を信じてよいか分からなくなるからです。僕、これで結構悩んだ事ありました。


パラドックの記事の補足なんですが、以前友達と会話をしてて、こんな事を考えました。



「人の噂をする人って嫌だよね」
「そうだね」

(心の中)........あれ、でもこういうこと友達と話してる時点で俺も「人の噂をする人の噂」をしてるんだな。ははは、結局俺も同類だな。笑







最近、「自分で考える事」が大事だとよく言われる様な気がします。

学校でも、会社でも、家庭でも「自分でよくよく考えろ!」みたいな。



でも「考える」って一体、なんだ?




「考える事」は少なからず「疑うこと」だと思います。既存の価値とか、常識を。



僕は、考えるのが嫌いじゃなくて、色々考える=色々疑っている、ということをしていると、自然と自分を疑うことになっていきました。


そして、自分を疑うと最初は辛い事もあるけど、あるとき、世界観が広がる様な感じがしました。


自分のもってた世界観なんてちっぽけなものだったんだなあ、と。そして新しい視点が取り入れられる。


「人の噂をする人って嫌だよね」と友達と居酒屋で愚痴って一生を終えることにはならず、一歩先に行ける(かもしれない。笑)。











結論:
謙虚さとは自分を疑う強さを持つ事じゃないだろうか。
謙虚さが必要な理由は、謙虚であると新しい視点が拓けて、自分の世界を広げる事ができて、最終的には自分が楽しいからじゃないだろうか。


です。






謙虚さとは、慣行を盲目的に信じて、よくわからないおじさん達にお酌をすることではないんです。

あれ、やべ、また傲慢! こりゃまたパラドックスだ! 笑  また自分疑わなきゃ!