ジェンダーの問題から考える相対性

ラテンの文化はマチスト(男中心)! と決めつけるのはちょっと早いかもしれなくて、ニカラグアは実は女性の政治参加や企業幹部が多い国です。

男女平等指数ランキング2012
http://memorva.jp/ranking/world/wef_global_gender_gap_report_2012.php


これによるとなんとニカラグアは世界で9番目に男女格差が少ない!(ちなみに日本は101位だそうです、、、笑)



(もちろんニカラグアにも問題は沢山あります。田舎の方に行くと、性犯罪や女性蔑視はまだまだあるし、ある話によれば女性の死亡原因の中で、「夫の暴力」という理由がかなり大きいとか。なのでこの指数の妥当性はまた別の話です。)



僕が働いているNGOは国連機関とも連携してプロジェクトを行っている為か、非常にジェンダーの観点が取り入れられていて、組織内でのジェンダー問題に関する定期的なミーティングが開かれていたり、独自の規則を作っていたりして、学ぶ事も多いです。

男性が女性を怒っているなんてことはまずなくて、たまに女性が男性をどなりつけてたりします笑 それもどうなのよ、って感じですが笑




さて、先日(っていっても4ヶ月くらい前か?笑)、世界女性の日、というのがあった日のこと。うちのNGOではミーティングが開かれて、女性職員が思いを述べる、みたいなイベントがありました。そこでの一人の発言からちょっと色々考えてみたいと思います。





「世界にはまだまだ抑圧されている女性が沢山いる。イスラム圏ではまだ女性がスカーフをかぶらないといけないし、まだまだ女性の権利が限られている国、地域がたくさんある。」






これ、凄く難しい問題だと思います。



僕は1年前、モロッコにいました。なんでかというと、イスラム教を少し勉強してみたかったからです。(あと、フランス語も。。。笑) 9.11以降、イスラム教って何かと世界の話題になっていて、あまり良いイメージを持たない方もいるかもしれません。

なので、実際に見てみようと思って3ヶ月くらい住んでました。


そこで、興味があったので色々な女性に聞いてみました。「スカーフをかぶらされている女性はかわいそうだ、というヨーロッパの人とかがいるけれど、どう思う?」って。(もちろん、失礼にならないように、ある程度信頼関係ができた後に。。。)



そうすると、僕が聞いた限り、返ってくる答えは全て「いや、私は好きでやっているのよ。コーランに書いてあるから。だから嫌でもなんでもないわ」でした。
(ちなみに、モロッコは、特に大都市のマラケシュカサブランカは、リベラルな考え方の人も多くて、肌を出したり、スカーフを外して歩いている女性も沢山います。それも全然認められている感じです。)





さてさて、これには様々な反応が考えられます。ちょっと考えてみます。





考えられる反応その①:
「やはり彼女らは洗脳されているわ、そういう考え自体を取り除いて女性を解放しないと!」


先日こんなニュースがありました。

「ニューヨークで女性のトップレスが解禁に」
http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51824174.html


この運動は「男は上半身裸で歩いて良いのに、女性はだめだなんておかしい!」という考えから来ていると思います。


たとえば想像してみましょう、今日本に、ある女性の権利保護団体Aがやって来たと仮定して「日本人の女性はブラジャーをつけている。これが普通と思っている日本人女性は古い価値観に洗脳されている!日本人女性を解放しないと!」と言ったとします。

そしたら、多分「おいおい、ちょとまて笑 あなた達の価値観押し付けないでよ、うちにはうちの価値観あるんだから」となるんではないでしょうか。笑


イスラム圏の女性のスカーフ問題も同じことな気もします。彼女らには彼女らの価値観があります。








考えられる反応その②:
「いや、彼女らが好きでやってるんだから良いんでないの、好きにさせて。彼女らが良いっていうんならいいじゃん。」


先日こんなニュースがありました。
「女性器切除、世界で1億2500万人以上に被害」
http://www.cnn.co.jp/world/35035138.html



さて、もし、女性器切除の被害者に出会ったとして、彼女が「これは古くから伝わっている風習だから仕方ないわ。皆受け入れてきたし。そんなに嫌じゃないわ。」と言ったらどうしましょう。


「おいおい、ちょとまて、そりゃー悪しき慣習に洗脳されてるんじゃないか」

と言いたくなると思います。










先日、こんな話をニカラグア人の友達としていたら、「あなたは極端に考え過ぎよ。両極端はどちらも良くないわ。」と言われました。

ごもっとも、、、すぐ極端を考えちゃうんです、僕。。。笑




たしかに、ニューヨークのトップレスのニュースも、性器切除のニュースも、極端です。からしたら。





でも、「極端」という言葉は、「普通」という基準点があるから存在できる言葉です。

自分の「普通」からしたらこれらのニュースは「極端」なのであって、その「極端」な点が「普通」の人にとっては僕の「普通」が「極端」になるでしょう。



「普通」「極端」という言葉は極めて主観的、相対的な言葉だと思います。







女性のトップレスが「普通」な社会に生きている女性や、女性の性器切除が「普通」な社会に生きている女性も世界には沢山います。



「それを『普通』と受け入れられてしまう事があり得ない!」

という意見もあるかもしれませんが、それでは「僕たちの普通」が絶対正しい、という根拠はどこにあるんでしょうか。多分ありません。


良く言われるように、「自分の普通」が「他人の普通」と同じではないんです。





アインシュタインは言いました。
「熱いストーブの上に一分間手を載せてみてください。まるで一時間ぐらいに感じられるでしょう。
ところがかわいい女の子と一緒に一時間座っていても、一分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです。」


同じ事を見たり、経験したりしても、人によって感じ方は違う、ということです。










結論:男女の問題は難しい。。。。。(笑)



思考放棄。。。(笑)






続きはまたいつか、書きます。。。笑