妬みと格差

僕の今の仕事の一つに、小さいビジネスへの経営アドバイス、があります。

「経営アドバイス」、といっても、全然難しいものではなくて、例えば、「ちゃんと売り上げの記録をつけようね」とか「ここに看板出したら皆がもっとあなたのビジネスについて知れるんじゃない?」とかです。だれでもできるようなことです。




さて、ある村の小さいパン屋さんにアドバイスに行ったときの事です。

そのパン屋さんは、他の町のコンビニにパンを配送する仕事をしていて、なぜかその村ではパンを販売していませんでした。

なので、僕は聞きました。

「なんで自分のパン屋さんの店頭でパンを売らないの?配送にかかるコストがいらないからもっと利益がでるんじゃない?」


そしたらパン屋さんの店主は言いました。


ニカラグア人は妬み深いから、自分がこの村でパンを売って自分がお金持ちになることを隣人が良く思わないんだよ。だから店頭で売っても誰も買ってくれないんだ。。。」


僕 「。。。。。。」









さてさて。どう考えましょう、この問題。


まず思ったのは、


①おいおい、隣人どもよ、ケツの穴ちっちゃすぎだろ。

です。笑

あんたらも近くでパン買えるようになって、彼も儲かって、皆豊かになるんだからいーじゃねーか。

でも、隣人の思考は違うんです。「俺は少しくらい不便でもいいから(遠くまでパンを買いに行く)、あいつが裕福になるのを見るのは嫌だ。」

こういう思考は、開発プロジェクトを大きく妨げます。何をやるにしても(例えば、生活改善プロジェクトとか、収入アッププロジェクトとか、公衆衛生プロジェクトとか)このメンタリティは致命的です。皆が足並みそろえて良くなるのでなければ、意味がない。そういう例は、実は結構あるようです。




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さてさて。でも、彼等の思考を批判した所で仕方ないので、もうちょっと突っ込んで考えます。そうすると色々なものが見えてきます。
(彼等の思考方法を変える様な教育プロジェクトを行う必要は、あるかもしれません。。。笑)






②隣人達は、人を妬むくらいの余裕がある(=ある程度豊か)んではないだろうか。

これは隣人達の生活をかいま見た訳じゃないので、推測でしかありませんが、少なくとも僕が食うものに困る程の極貧だったら、こう考えるでしょう。

→「あのパン屋が俺より何倍裕福になろうが関係ない、とりあえず俺の生活を改善したい」


「俺は少しくらい貧しくなってもいいから、あいつが裕福になるのを妨げたい。」という思考は、少なくとも生活に必要最低限のもの(衣食住, etc etc)を持っているから持つ事のできる思考ではないでしょうか。


実は、この、「プライド」、ニカラグア人は結構高いと感じます。(ニカラグア人は、と一般化するのは良くないですが。。。)ディスコに行くと皆めっちゃ高いブランドものの服きてるし、自分の給料に見合わない様な高い携帯とか、車とかを持ってたりします。結構「見た目」を気にする社会です。

俺が、いつもの様にボロボロの服を来て踊りに行くと、「何なのこいつ」的な目で見られました。女の子と仲良くなるどころの話ではありません。笑

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さて、もう少し考えます。

③この「パン屋さんが儲かる(格差が広がる)ことで、その村の多くの人が妬みを感じる(不幸せになる)」という構図は、先進国社会にも当てはまるんじゃないだろうか。



最近、「格差」は先進国でキーワードな気がします。
格差社会」っていう言葉に代表されるように、普通はこの言葉はネガティブな意味で使われます。



もし、「格差」は「不幸せ」を生むから「格差は悪だ」ということなら、①の様に村人のケツの穴の小ささを責めることはできません。(格差が広がるのが悪だ、という前提に立つならば、「格差を広げない為に、彼の所でパンを買わない」「皆貧しいままでいい」という考え、行為は合理的だからです。)


でも僕の常識で考えたら、「あいつが裕福になってほしくないからアイツのところでパンは買わない」は、やっぱり、「ケツの穴ちっちゃい」です。笑




だて、この問題、どう考えましょう。格差が広がるのは悪いから、彼の所でパンを買うべきじゃないんでしょうか。それとも、それはケツの穴ちっちゃい考え方で、直すべきなんでしょうか。


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問題は、「格差」にも色々あるということです。一言で「格差」とは言えないよね、ということです。

例えば、「格差」が生まれるプロセスに注目しましょう。



「Aさんが5の富を持っていて、Bさんも5の富を持っている」状態(状態1)から

「Aさんが10の富をもっていて、Bさんが15の富をもっている」状態(状態2)に変わった場合、確かに「格差」は広がったと言えます。けれど、これは悪い事なんでしょうか?全体の富が増えているから良い気もします。

(実際は全体の富の総量が増えると、インフレとかが起こる可能性があるので、そんなに簡単じゃないですが。)




それに対して、同じ(状態1)から

「Aさんが3の富を持っていて、Bさんが7の富を持っている」状態(状態3)に変わったとします。Aさんの2の富がBさんに移行した状態です。


この場合の格差は、あまりよろしくない格差と考えることができるかもしれません。Bさんが豊かになったのはBさんが貧しくなったから、と考える事ができるからです。








さて、難しいのは、(状態1)から(状態2)への変化に関しても、人々が妬み(不幸)を感じる場合です。全体の富の量は増えていて、皆が(程度の差はあれ)豊かになったはずなのに、妬み(不幸)が生まれる状態です。これは、「妬みを感じる奴はけつの穴ちっちゃい」んでしょうか、それとも「人間として格差に不満を感じるのはあたりまえ」なんでしょうか。









(まとめ)
「格差」は必ずしも悪い物とは言えないんではないだろうか。その「格差」が生まれたプロセスにも焦点をあてる必要があるんではないだろうか。
また、人々の「幸せ」を考える場合には「格差」は重要な要素になってくるが、何を幸せと感じるかは人によって違うので、難しい。
自分の幸せを、他とは切り離して考えられる人もいるし、他人と比べる事で自分の幸せを認識する人もいるからだ。




こんなとこでしょうか。


ま、最終的には、何を「幸せ」と考えるか、っていう哲学の問題ですね。