橋を架ける ②

こないだの「橋を架ける」の記事を理論くさくちょっと深めてみようと思います。

あ、少し誤解のない様に補足しておくと、僕は自分の大学や、元働いていた会社の人達や、協力隊の仲間が大好きです。今でも付き合っているし、感謝しているし、全然批判したりするつもりはなかったんです。笑 でも、ちょっと分析してみたかっただけです笑






さてさて。



こないだの記事では、自分の周りの世界の事にしか注意を払わない人をちょっと批判してみたりしました。



でも、これは、当たり前の事です。僕だってそうです。

ずっと前も書いた様に、人間、全ての情報を集めてそれを客観的に分析して、中立な立場をとること、は不可能です。


誰しも、自分が経験してきた事、読んだ本、見てきた世界、聞いてきた事、学んだ事の中でしか考えられません。

これはDaniel KahnemanがAvailability Heuristicと呼ぶもので、こないだの記事でも書いた様に、人は所詮availableな情報を元にしか意思決定できないんだよ、ということです。






どんなに世界を旅しても、どんなにいろんな経験をしても、世界の全ての場所に行って、世界の全ての人と話して、世界の全ての情報をとってきて、それを客観的に分析するなんて無理です。



だから、僕みたいに、生半可に世界のいろんな場所を旅したりしてる人間が、「俺は世界を旅してきたんだ、だから俺は世界を知っている」というのは、傲慢です。気をつけよ。笑


同じ様に、僕は、学生に対して「お前ら学生は考えが甘いんだよ。俺は社会人を10年やってきたんだ。俺が社会を教えてやる」と偉そうに話す社会人の先輩方を信用しません。社会人10年やって社会が分かるなら苦労はねーぜ。あんたが見てきたのは、日本という極めて特殊な社会の、大企業という極めて特殊な組織形態の中の社会のほんの一部だろ、と。(はい、また生意気。気をつけます。笑  もちろん、日本の企業社会は良い所沢山あると思いますよ。笑)







だから、こないだの記事では「もし批判する対象の事があんまり分かっていないのにネガティブなイメージを抱いているとしたら、少し悲しい事だなあと思います。」なんて書いてみたものの、それは矛盾しているとも思います。



なぜなら、上で批判した社会人10年目の先輩は、同じ論法で僕を批判できるからです。


「並木、お前社会人10年やったことねーだろ。お前、俺の事よく分かってねーくせに偉そうに批判するんじゃねー」


と言われたら、「あ、確かにそうだな」となります。笑

そうなると、もう昔書いた、言葉遊びの世界、パラドックスの世界なので、ここで話はとめます。笑









なので、とりあえずの結論は、やっぱり謙虚でいたいなあ、ということです。








謙虚でいることで、他の世界の事も知れる様になります。

謙虚でいる事は、自分の考え方には必ずバイアスがかかっている、といつも認識しておくことだと思います。

謙虚でいると、いろんな人の状況に思いを馳せる事ができて、優しくなれます。







どんな事に対しても謙虚でいることで、Bridging Effectを発揮できるんではないかなあ。




だから、謙虚さを重んじる日本の文化は好きだし、それは世界に橋を架けることができる可能性をもっているなあ、なんて思います。