なんで生きるのか

こないだ書いたように、小さい頃から、「なんで」「なんで」と質問していたらしい。


今でもそうな感じがする。あんまりしっくり行かない事があると「why?」と聞きたくなる。


学校でも、会社でも、趣味の世界でもそうだった。

「なんで勉強しなくちゃいけないんですか?」
「なんで時間通りに出社しなくちゃいけないんですか?」
「なんでダンスの基礎練習をしなくちゃいけないんですか?」

答えは大体、次の様なものだった。

「勉強したら良い大学に行けて、そしたら、将来の可能性が広がるからだよ」
「皆が時間を守らなくなったら仕事が回らなくなってしまうからだよ」
「基礎練習をしたらダンスが上手くなるからだよ」


そしたら、また「why」の疑問が沸いてくる。

「なんで将来の可能性を広げると良いんですか?」
「なんで仕事が回らなくなったrいけないんですか?」
「なんでダンス上手くならなきゃいけないんですか?」


。。。。



そうやって、どんどんどんどん、「なんで?」って聞いて行くと、必然的に次の質問にたどり着く。






「なんで生きているんですか?」





多分答えは一生探し続けるんだけど、暫定的な答えは




「だって楽しいから」




究極的には、それに尽きる。


楽しいから勉強する。将来の可能性が広がると楽しいから、勉強する。
楽しいから仕事する。仕事して社会と関わっていると楽しいから、仕事する。
楽しいから踊る。上手く踊れる様になるともっと楽しいから、だから基礎練習もする。





全部、自分が楽しいから、やっていること。




全部、自分で選んでいる。





究極的には「しなければならないこと」なんて一つもないと思う。

それは、こないだの「暇」の話にもつながる。







人間は、暇なものだと思う。言葉を変えれば



「自由」


だ。






人間は自由だ!



というと、ポジティブに聞こえるけど、

どっかの哲学者が言ったみたいに




人間は自由の刑に処せられている



というとネガティブに聞こえる。





個人的には、別にどっちでもないと思う。ニュートラル。というか、もうちょっと性格に言うと、どっちにも成り得る。






高校の時に、辛いつまらない毎日が2、3年続いて、こんなんじゃ生きている意味ないじゃないか、と思った。死んでいても同じだ、と。

死んじゃおうか、と思った事もないではない。


でも、じゃあ、一度死んだ気になってはちゃめちゃやってみよう、と思えたらそこから世界が変わった。



一度死んだ気になれば怖い事なんて何もない。だってもう一度人生終わってるんだから。




楽しくなくなったら死ねばいい、と思って、楽しい事を始めたら、人生がちょっとずつ変わっていった気がする。









楽しいから生きる。それだけ。



そして、楽しい時って、他の人も楽しい時だったりする。