思考の枠と生き方

ニカラグアというと「貧しくて危ない国」! というイメージがあるかと思います。


まあどれくらい危ないかの一例として、以下を見てみましょう。

これは、人口10万人あたりの殺人件数のデータです。

http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_countries_by_intentional_homicide_rate


下の方を見てみると、日本が0、4なのに対して、ニカラグアは12、6なので、なんと日本より30倍も殺されてしまう確立が高いんです! なんてこった! 恐ろしい!





さて、これ、正しい考え方でしょうか?

もうちょっと考えてみます。




このニカラグアの数値は、あくまで「平均」です。あったりまえのことですが、ニカラグアの中にも、危ない地域もあれば、安全な地域もあります。夜出歩いたりしても全然平気な地域だって沢山あります。

なので、正確に危険度を知りたいなら、「自分が行く都市」のデータを知る事が重要です。もしその都市にしかとどまらないんなら、ニカラグア全体のデータを知ってもあんまり意味がありません。


更にこれをもっと細かくしていくと、一つの都市の中にも、危ない地域と安全な地域があります。なので、同じ理論を当てはめると、その都市の安全な地域にしか滞在しないのであれば、その都市の全体のデータを知ってもあんまり意味がありません。自分が滞在する地域のデータを知る必要があります。


これをもっと大きくすると、分かりやすいです。


たとえば、今、宇宙人が地球旅行を計画してるとして、地球全体のデータを知っても余り意味がない事は分かるでしょう。日本に滞在するのと、イラクに滞在するのでは、危険性は全然違ってくるからです。


結論①「自分が行く場所のデータ」を知る事が大事なんじゃないか。





さて、もうちょい考えます。


ニューヨークにいた時に、ある日本人の子持ちのお母さんと出会った時にした会話が印象的でした。

お母さん「最近日本では無差別殺人とか無差別誘拐みたいな物騒な事件が多くて、とても子供を日本には住ませられないわ。」

僕「え、でもニューヨークの方が犯罪件数は全然多いですよね。」

お母さん「ニューヨークでは確かに犯罪件数自体は多いけど、危ない場所や人に近寄らなければ犯罪に巻き込まれる事はないわ。それに対して、日本では件数自体は少ないかもしれないけど、気をつけていても巻き込まれる可能性がある(無差別なものが多いから)。だから、気をつけていれば犯罪に巻き込まれないニューヨークの方が自分にとっては安全よ」

僕:おお! (心の中)




ニューヨークでは気をつけていれば犯罪に巻き込まれないかどうかは別にして(日本では他国より無差別犯罪の件数が多いのかどうかも別にして)、これは、結論①とも通じる点のある、非常に面白い考えだと思いました。


物理的に行く場所だけじゃなくて、自分の行動形態や、犯罪の質によっても、参考にすべきデータは変わってくるということです。



一般化するなら、自分がAという行動をとるなら、そのAに関わる犯罪のデータを取ってくる必要があります。

そういうデータがないなら、自分で加工したり、調査したりしなきゃいけません。自分の行動パターンとか自分の思考方法は自分にしか分からないから。



結論② 「自分にあったデータ」を知る事が、ない場合は作る事が大事なんじゃないだろうか。








さて、犯罪の話から離れて、ちょっと話を飛躍させるとこれは、どういう範囲の中で、どういう枠組みの中で自分の行動を考えるか、という話になってくると思います。

もっともっと飛躍させると、世界とか人生をどう見て、その中でどう行動するか、という話です。それが「人生の枠」です。


結論②を当てはめると、「自分の人生に適した『枠』を自分でつくって(自分で考えて)、そのなかで行動していく」事が大事なんじゃないかということです。(結論③)




ちょっと犯罪件数のところの話に戻ると、当然ですが、こういう「確立」って、「割り算」で計算されます。


割り算は分母と分子でできてます。結論③では「自分の人生に適した枠」が分母になります。

この分母を小さくすると、一つ一つの行動(=分子)の意味が全体に占める割合が増してくるし、分母が大きくなると、一つ一つの行動の意味が全体に占める割合は小さくなります。














今日という日、今という瞬間をどう生きるのか。今、どういう決断をするのか。





前にも書いたように、とてつもなく長い宇宙や地球の歴史という「枠」での「今日」「今」「この決断」は、非常に小さいものです。分母がものすごく大きいから。

だから、気楽になれる。

ちょっとくらい妥協してもいいじゃないか。長い人生だもの。今日1日くらいゆっくり何もせずにぼーっと無駄にしても良いじゃないか、地球の歴史からみればそんなものどうでも良い事よ。




逆に、いつ死ぬか分からない人生、今日という二度と来ない1日、20代後半という一度しかない時期、という「枠」での「今日」「今」「この決断」は非常に大きく、意味のあるものです。分母が小さいから。

だから一生懸命になれる。

今日という1日を大事にしよう。明日死ぬかもしれないから。今を一生懸命生きよう。二度と戻ってこない今という瞬間だから。









ということで、結論④



〜気分に応じて分母(=思考の枠)を大きくしたり小さくしたりして、自分に都合良く楽しく生きよう!
今日は頑張った!という日は、「いやー明日死ぬかもしれない人生、今日という日を一生懸命生きた!俺最高!」と思い、今日はやる気しねーな、全然だめだったな、という日は「いや長い人生、ってか、長い宇宙の歴史からみたらそんなんどうでもいいことじゃん。さあ、もう勉強はおしまい、ビール飲んで早く寝よ!」と思うのが良いのではないだろうか。〜