信用と経済発展と幸せ

こないだ、ある会議で考えた事をちょこっと書きます。




僕は今、小さい農家とか小さい商店に小額のお金を貸し出す、という事をしている部署で働いています。

これは、マイクロファイナンス、といって、貧困削減の世界では非常に有名な手法です。


昔は、お金を借りて、返済することができるのは、お金がある大きな企業とかだけだよ、というのが常識だったらしく、銀行は大手の企業とばかり取引をしていたようです。


だけど、そうではなくて、貧困に苦しむ農家や小さい商売の人こそ、小額の融資を必要としているよ、彼等もちゃんとその資金を使って利益をあげて、返済する能力があるよ、そしてそれが貧困削減をする上で非常に大事だよ、ということを実践した、ユヌスさん、という人が、2006年にノーベル平和賞を受賞して、このマイクロファイナンスは一躍有名になりました。(すいません、勉強不足で正確な説明ができていなかったらすいません。。。)

ムハマド=ユヌスさん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%8C%E3%82%B9




今日の会議は、お客さん(うちのNGOからお金を借りてくれている人達)により良いサービスを提供できないだろうか、どういうサービスを提供したらより望ましい関係をお客さんと築けるだろうか、という話し合いでした。






さて、こないだの記事でも書きましたが、ニカラグアの太平洋側では、最近、降水量の不足による不作が続いていて、農家が苦しんでいます。






そこで僕は提案しました。

「降水量不足に備えた保険システムを作れないの?」


うちのNGOニカラグアの広い地域にわたってお客さんをもっているので、各々のお客さんに少しずつ保険料を負担してもらって、その年に降水量が少なかった地域の農家の人達の損失をカバーできないだろうか、と思ったからです。

もちろんこれを実施する為にはいろーーーんな事前調査とか規約づくりが必要なので、簡単ではないですが、それは置いといて、会議で話された事からちょっと考えます。





同僚A「たいき、言いたい事はわかるんだけど、ほとんどの人は保険のシステムを悪用することを考えだすと思うからそれはうまく行かないと思うよ。」


同僚B「そうそう、例えば農業が上手く行かなくなった時に、それが降水量不足のせいなのか、ただ単に彼等がさぼってただけなのか、判断するのは非常に難しいのよ。」


同僚C「そうそう、そういうのを考慮すると、保険料を凄く高くしないと採算があわなくなって、そんな高い保険料は誰も負担したくないし、できないんだよ。」


若造なみき少年「確かにそうだなー。。。」








多くの人がシステムを悪用するだろう、という前提にたつと、一見効果的な施策も打てなくなってしまいます。






昔、スペインのマドリードインターンシップをしに行った時の事です。マドリードではスリが多いから、盗難保険に入って行った方が良いよ、と言われて、入っていきました。

結局盗難には合わなかったのですが、疑問に思った事があって色々調べてみました。


そうすると、面白い事がわかりました。



盗難にあったということは、ものがなくなっちゃったってことなので、盗難にあったかどうかを証明するのは非常に難しいです。壊れた、とかじゃないから。なので、盗難にあったことを保険会社に示して保険料をもらう為には、まずマドリードの警察にいって、盗難証明書を出してもらいます。

でも、その時に必要なのは「盗難にあった」という証言だけです。それで、警察は盗難証明書を出してくれる。


悪い人は、当然、盗難にあった、と嘘をついて、証明書を出してもらって、保険会社からお金を受け取る事ができます。(もちろんそういう履歴が積み重なって行くと、ブラックリストにのって保険に入れなくなりますが。)


保険会社は、当然、そういう悪い人もいるだろう、という事は見越して、それで保険料を設定して、保険を売っています。



ただ、悪い人が大部分だろう、という結論になると、保険会社は保険料を大きく引き上げざるを得なくなり、そんな保険料を払うのはばからしい、ということでお客さんもいなくなり、そのビジネスは成り立たなくなります。



盗難保険は、「多くの人は実際に盗難にあった際にだけ保険料を申請する、誠実な人だろう」という前提の上に成り立っています。







信用がない社会では、規則や罰則で人をしばらないといけなくなるので、細かいとこまで契約書を作ったりなんなりといろんな余計な作業が増えて、経済活動が効率的でなくなります。


昔会社で働いていた時に、よく言われる様に、アメリカの会社は契約書にない事はやってくれないけれど、日本の会社は契約書にないことも気を利かせてやってくれる、ということが実際に数回ありました。(どっちが良い悪い、とは言ってません。スタイルの違いだと思います。この話はまた後から。)


世の中ではいろんな事がおこるので、その全てを洗い出して契約書に盛り込む、なんて無理です。でも、それをしようとして、膨大な契約書をつくって、いちいち新しい事象が発生するたびに、この事象は契約書のどれにあたるのか、なんていちいち確認したりしてると、ほんとにほんとに無駄な作業や手間が膨らみます。




信用が社会資本である、とはこういうことなんだなーって思いました。


さてさて、ここまでだと、「やっぱり信用が大事だ!信頼関係を築ける様に人の気持ちを考えて、ルールにないところまでやるカルチャーが大事だ!」となります。

それはそうだと思うんですが、問題もあると思います。




たとえば、さっきの日本企業とアメリカの企業の話に戻ります。



確かに、サービスを買う側としては、売り手が契約書にないことまでやってくれるので、ありがたいのですが、売り手的には、どこまでやったらお客さんの信頼を得られるんだろう、って話になります。


お客さんからの信頼を得る為に、もうちょっと悪く言うと、「お客さんに気に入ってもらう為に」どこまで働けば良いんだろう、となります。

それは、「サービス残業はしたくないけど、上司からの信頼を得る為にはサービス残業せざるを得ない」みたいな話にも繋がってくると思います。





「信頼が大事!」というのは簡単なんですが、「信頼」の定義は人によって異なります。


時間通りに仕事を終わらせてさっさと定時で帰る部下を「信頼」する上司もいれば、飲みに付き合ってプライベートの愚痴に耳を傾けてくれる部下を「信頼」する上司もいるわけです。







あまりに人からの「信頼」に心をとらわれすぎると自分の基準を見失って不幸せになってしまうかもしれません。



たとえば、上に、信頼がない為に盗難保険システムが成り立たないだろう国として例示した、ニカラグアや、スペイン、は、様々な「幸せ指数調査」で、日本(信頼が高い国として有名)より上位です。もちろんこの「幸せ指数調査」の妥当性は別の問題ですが。。。


ただ、お互いの信頼関係は人々の幸せによって凄く大事な要素である気もします。
だって、だれも周りを信用できない国では幸せになんてなれっこないでしょ!たぶん、、、笑



ああ、世の中は複雑で難しい!笑







ということで、長くなったので、細かい事はすっとばして結論。笑



結論:
「信頼」は重要な社会資本で、経済発展にとって大事である。けれど、「信頼」の定義は人によって異なる。「他人からの信頼」のみによって自分の行動を決めていると自分の幸せに繋がらない事もあるかもしれない。ただ、人と人との信頼関係は幸せにとって、やっぱり大事だろう。ああ、社会は複雑で難しい、でもだから楽しい!笑


以上!笑