破壊力! 〜その2〜

こないだ細切れの時間でちょちょっと書いた記事「破壊力」が結構反響が大きかったみたいで、いろんなコメントやメッセージを頂いたので、ちょっと色々考えてみました。

コメントやメッセージをくれた方々への返信も兼ねて、考えた事を書こうと思います。

大きく考えた事は2点です。今回はその一点目。




●「破壊」という言葉の持つニュアンスについて。そこから考える、「言葉」の持つ意味について。





「破壊力」というワードは、「破壊」という若干問題ありげな、そしてちょびっと過激なニュアンスを持つと思います。

このワードをタイトルにした意味は特にありませんが、もしタイトルが「周りの反対意見を押し切ってでも時には信念をもって物事を突き進める突破力も必要なのでは」みたいなもうちょっと柔らかい、そしていろんな細かい要素を含んだタイトルにしていたら、反響ももうちょっと少なかったのかもしれません。

そういう意味で、やっぱり「言葉」って非常に大事だなーと思います。

普段おしゃべりをしたりしている時に、自分の発する「言葉」に注意を払う事はあまりない気がします。

けれど、自分が発した単語のイメージが、受け取った側と自分とで異なる事は結構多くあるんじゃないでしょうか。

そしてそれって、勘違いとかすれ違いの原因になったりする気がします。

これはこないだ書いた、「言葉」に関する記事と大体同じ話です。




こないだ、ニカラグア人の友達と韓国人の友達と日本人の友達と4人で話していた時の話です。

「言語は大事か否か」みたいな話になりました。


韓国人の友達は、「言語はたいして大事じゃない」と主張し、ニカラグア人の友達(この子は、ニカラグア人とイラン人のハーフでカナダ育ち)は「言語は大事」と言っていました。




アジアは大体「ハイコンテクストカルチャー」で、言語外の要素がコミュニケーションに占める割合が非常に多い文化です。

参考:High and Low Context Culture
http://en.wikipedia.org/wiki/High_and_low_context_cultures


それに対して、移民の多い国々、アメリカとかカナダ、オーストラリアは、人々の共通のバックグラウンド(宗教とか価値観、伝統とか)が少ないので、言葉が唯一のコミュニケーション手段となる可能性が高くて、言葉がコミュニケーションに占める割合が高くなります。

カナダに住んでいたとき「愛してる、って言わなければ愛してる事にはならないのよ」と女の子に言われた時、日本人の僕は「そんな〜〜〜」と思いました笑。 「見つめ合ったり、ちゅーをしたりしても愛してる事にならないのかよ〜〜〜〜」って感じでした。笑




この研究結果にも示されている通り、言葉のコミュニケーションに占める割合は非常に少ないと思います。

それでも。

それでも、今の所、言葉だけが、人類の持つ唯一の「論理的な」コミュニケーション手段だと思います。


言葉って大事だなーって思いました。



特に、ブログなんちゅーものは言葉が全てのコミュニケーション手段なので、僕みたいに軽々しい発言をすぐする人間は注意が必要です笑 以後気をつけます、はい。笑