とりあえず結論を出す事の意味

気づいている人もいらっしゃるかもしれませんが、僕は、ブログを書く上で、意識的に価値判断をしない様にしています。

いつも、「Aも良いけどBも良いよね!」的なスタンスです。


なので、近しい友達からは「また当たり障りのない結論だなー」とか、「白黒はっきりしない灰色君」なんて、怒られたりします。笑



こういうスタンスをとっている理由はいくつかあります。

1:ビビリだから。
→これ、結構でかい理由です。笑  批判されるのが怖いんです。「炎上」なんてしたら、凹みすぎてブログ閉めちゃいます。笑 だから、「炎上」しない様に、なるべくなるべく、中立に行く様にしています。笑 まじおわってますね、この理由。笑
(もちろん、人間、完全に中立なんかにはなれないことは分かってるわけですが。 
参考→ジェンダーの問題から考える相対性


2:真実なんてない、と信じているから。
→これも大きいです。僕の主張が正しい、とは限らないと思うからです。そもそも、正しいか正しくないか、なんて人によって違うと思ってるからです。だから、「Aが真実である!」という主張はあんまりしたくないんです。特に僕は社会科学に興味があって、社会科学は、自然科学や数学と違って、「絶対的な真実」がない様に思います。例えば、「水を1気圧のところで100度にしたら沸騰する」というのは「絶対的な真実」です。「1+1=2」これも「絶対的な真実」です。でも、「子供はのびのびと自由に育てた方が人間力が増す!」という教育学的(?)な主張は「絶対的な真実」ではあり得ません。


3:このブログの目的が、自分の主張をする事ではなく、読んでる人にいろんな視点を持ってもらうことだから。
→2とも繋がってきますが、自分の主張を押し通す、というよりは、こんな考え方もあるよね!という方が自分のスタイルに合ってる気がするんです。もちろん、「いろんな視点もあるよ、という主張を押し通してる」というパラドックスは存在する訳ですが。。。(参考→パラドックス








ブログだけではなく、普段の生活でも、「こんな考え方もあるよね、こんなのもあるよね、面白いよね!」って感じの会話が好きです。結論を出す為の会話じゃなくて、知的好奇心を刺激して楽しむ為の会話。いろんな他人の視点を学べる会話です。








さてさて、そんなこんなで、今まで「当たり障りのない」記事を書いてきましたし、これからも「当たり障りのない」記事を書いていくつもりです。笑

これからの会話でも、同じ様なスタンスでいるつもりです。笑






でも、そんな感の思考方法に慣れていたある日、仕事場の上司から「ちょっと論文を書いてくれない?日本人のメンタリティをどうしたらニカラグアの経済成長に生かす事ができるかについて。」と言われました。そんな難しいことーーーーーーー!!!??って感じです。

真面目に論文を書いた事がなかったので、調べたのですが、どうやら、論文というものでは、「結論」を出さないといけないようです。「これこれこうこうだから、よって結論はこうである!」みたいな。





それについてずっと考えていました。論文では、何か一つの結論を出さないといけないんだろうか。と。そんなん無理だよー、って感じでした。だって、何が正しいかとか分からない、と考えているし、真実なんてないと考えているし。








でも、こないだたまたまこの本を読んでて、ヒントがありました。

採用基準

採用基準


これは、タイトルは「採用基準」ですが、リーダーシップの本です。

どうやって、結果に向かってチームを率いて行くか、という本。




さて、リーダーが行うべき動作の中で、「ポジションをとる」という概念がありました。

それは、「あなたの意見は何か表明する」「あなたが意思決定者だとしたらどう決断するのか表明する」という意味のようです。



さて、ここからが重要です。


なぜ意見を表明する方が良いのか。それは、「ポジションをとることにより(意見をひょうめいすることにより)、様々な問題点が浮かび上がり、改善や修正も素早く行えるようになります。仮でも良いのでポジションをとって結論を出さないと、外部から反対意見さえ集める事ができず、何を改善すれば良いのか見えてきません」(引用)



これには「納得!!!」でした。



普通、自分の意見や主張が否定されたりして、それが最終結論になると、「ああ、俺は間違ってたんだ」と凹みます。
でも、その最終結論は、最初に自分が意見を表明して、それが否定されたから出てきた結論です。そういう意味で、最初に意見を表明した人はちゃんと役割を果たしています。

だれも最初に意見さえ表明しなければ、議論が深まる事もありません。

意見を表明した後に批判や反論が加わるのは想定の範囲内、ということです。






これをさっきの論文の話に当てはめると、道が見えてきます。


多大なリサーチや文献講読をして書く論文なので、「正しい」結論を出したい、と思うのは当然です。
ただし、よく考えてみれば当たり前ですが、「絶対的に正しい」結論なんて書けるわけないです。少なくとも社会科学の世界では。僕も、いくら権威ある人の本でも、「もしかしたら正しくないかもしれない」という前提で読みます。それと同じです。



大事なのは、今手に入る情報を駆使して、現段階でのベストの結論を出す事です。それで、そこに批判や議論が加わる事で、より良い結論になっていくことが大事なんです。






僕も、自分が一生懸命考えたアイデアや意見を否定されると、凹みます。けど、それは、一生懸命考えて結論を出した事に対する報償だと考える方が良いのかもしれません。そうやってより良いアイデアが醸成されていくのかもしれません。








こないだ書いた、「破壊力」のエントリに、興味深いコメントをもらいました。(彼とは直接は面識がありません。笑 もしかして、メル友!!!??笑)


彼はファシリテーターで、ファシリテーターとは、「議論に対して中立な立場を保ちながら話し合いに介入し、議論をスムーズに調整しながら合意形成や相互理解に向けて深い議論がなされるよう調整する役割を負った人」(Wikipediaより)みたいです。



彼は、「”自分はファシリテーターだから、私のエゴや意見は持ち込みません。ニュートラルな全体への奉仕者です”って言うのも、実は上から目線なんだ」と師匠から教わった、と言っていました。









それは、僕のブログに当てはめれば、「俺はこんな視点ももってるぜ、こんな視点もあるぜ、物知りだろ!俺は皆さんに新しい視点を提供するぜ、ニュートラルな立場から!」って上から目線で言っている、とういうことです。






んー、なんか話がこんがらがってきた気がしますね。笑




とりあえず、「意見を表明する事には一定の価値がある」ということです。
それは論文に関しても同じで、仮かもしれないけれど今ある情報の中で結論を出す事で、より議論が深まる。そしてそれは価値がある、ということです。








さ、今回はちゃんと僕、意見表明できましたかね、これ?笑