勉強する意味

昔、アメリカのテキサス州にいた時にある友達が言いました。

「俺は様々な宗教について徹底的に勉強したんだ。いろんな本も読んだ。その結果、やはりキリスト教が最も正しい、という結論に至ったんだよ。」


こないだ、モロッコにいた時にある友達が言いました。


キリスト教ユダヤ教についていろんな本を読んで勉強したけど、やはりイスラム教が一番世界で良い宗教だと思う。」









さて、僕は勉強が嫌いでないし、結構本を読むけれど、沢山勉強して沢山本を読んだら、世の中が分かる様になるんでしょうか?「正しい」結論が出せる様になるんでしょうか。


上の会話から推測すると、どうもそうではないようです。だって、二人とも勉強してるけど、「一つの正しい答え」は出ていないから。






多分、彼等は、「自分の持っている前提を肯定する為の勉強」をしたんです。

そして、「あ、この本も俺の思ってた事と同じだ、あの本も俺の主張と同じだ、やっぱり自分の考えは正しかったんだ。」となる。もしくは「この本は俺と逆の主張だけど、あの本によって否定されてるから、やっぱり俺の考えは間違ってない。」となる。

自分の意見を補強する情報なんて、いくらでも見つかります。そして、自分と反対の意見に反対する議論(結果的に自分の意見を肯定する根拠)もいくらでも見つかります。いまの情報化時代。






前提を持たずに中立の立場から双方の意見を客観的に分析すれば良い?



でも、そんな事本当にできるんでしょうか?
*参考
観測者は中立になれるのか
中立ってなに?







「中立でない立場から、都合の良い情報を集めて、自分なりの結論を導いてる」という意味では、僕がやってることもアメリカの友達やモロッコの友達がやっていることと同じです。











多分、勉強しても世界はわからないんです。むしろ、勉強すればするほど、わからなくなる。

じゃあなんで勉強するんでしょう?



まとめ:

勉強して、いまもてるだけの情報を組み合わせて暫定的な答えを出す事には意味がある。多分。前に進む為に。

②勉強事体が楽しい!勉強は、テストに受かる為とか、資格を取る為の「手段」ではないんです。多分。少なくとも僕にとっては。勉強すること事体が目的です。
お酒を飲んで女の子とイチャイチャするのが楽しい、のと同じく、勉強するのが楽しい、から勉強する。以上、それ以上でもそれ以下でもなし。



②をどうやったらもっと多くの人に感じてもらえるんでしょう。小学校でも、中学高校でも、大学でも、社会でも。

したら、もっと面白い社会になると思うんだけどなー★