責任

こないだの記事の日本語版です(ちょっと変更あり)。これは日本語でも書いておこうと思ったから!



責任、という言葉はよく使われると思う。

責任感を持って仕事をしなさい、とか、責任をとって辞職します、とか。笑






日本人は(と一般的にくくるのはどうかとも思うけど)やっぱり、責任感を持って仕事をする人の割合が多いと思う。


ニカラグアにいると、責任感を持って自分の担当する仕事をやらない人とかもいて、「これじゃあ何かを企画して進めて行くのとかは相当難しいなー」と思う事もある。


そもそも、何かを企画して物事を進める、という概念があまりないのかもしれない。そうしたら、自然と、「責任」は持たなくて良い。そして、それが悪いとは思わない。それで社会が回って行くのであれば。



ただ、やっぱり、「発展した社会」(これが具体的に何をさすのかは難しいので、また今度。笑)を目指すのであれば、組織で何かを企画立案して、計画に沿って各個人が責任を持って進めて行く、というコトは大事だと思うので、「責任感」のある人が多いかどうかは、社会の発展に大きく関わってくると思う。



日本が経済発展した理由の一つはそれもあると思う。(もちろん、他にもたーーっくさん要因があると思うので、単純には言えないと思う。前にも書いた様に、原因と結果の関係は難しいと思う。






ただし。





持つべき責任には順序があると思う。


例えば、

自分が主担当しているプロジェクトの責任は、自分が副担当しているプロジェクトの責任より重くなる。

親は自分の子供に対して、他の子供より責任を持つ。

みたいに。






責任の優先順位を取り違えてはいけない。









さて、じゃあ、僕らは、何に最も責任を持つべきなんだろう。もっとも優先順位の高い「責任」はなんなんだろう。他のどんな「責任」を差し置いても持たなければいけない「責任」とはなんなんだろう。










それは「自分の人生」の責任だ。












会社の仕事の責任は100%はとらなくていい。

自分の子供の責任も100%とることはできない。







でも、自分の人生の責任は、自分が100%負っている。他の誰もとることができない。







親がこういったから、上司にこうアドバイスされたから、他の皆はこうしてるから、って言って、それに従って生きて、もし後悔しても、その責任は誰もとってくれないし、とる必要もない。








自分の人生の責任だけは、自分が100%負っている。それだけは確かだと思う。







例えば、仕事の責任を全うする為に自分の人生を棒に振る、というのは、優先順位を取り違えていると思う。








こういうと、なんか厳しく聞こえるかもしれないんだけれど、そんなことはない。

自分の人生の責任は自分が負っているんだ、と自覚した瞬間に、自由になれると思う。少なくとも僕はそうだった。


それが、よく言われる、「自由と責任は表裏一体だ」というフレーズの、究極の形なのかなあ、と思う。














自分の人生の責任は自分が100%負っている。だから、自由だ。