それぞれの冒険 ~Standing on the Shoulders of Giants~

こないだの記事の続きです。


いくつかのコメントを昔の友達からもらって嬉しかったので、ちょっと続きを考えてみた。






僕はこないだの記事で「日本は発展しすぎて冒険がなくなってしまった」なんて言いたかった訳では全くありません。


『もし、「論理」(つまり学問的考え方)と「冒険」が矛盾するなら、共存できないなら、現代社会は「冒険のない世界」になっていってるのかもしれません。』



と書きましたが、答えを先に述べると、「論理」と「冒険」は矛盾すると思ってないし、共存できないとも思っていません。

「あたま」と「こころ」は不可分なものだと思います。そういう二元論的な考え方をしない所が、東洋の特徴でもあると思います。 (参考→http://d.hatena.ne.jp/Vivalavida0423/20131118/1384802683:東洋と西洋、一元論と二元論の話)








さて、前回の記事に「子供ができると毎日冒険だよw」というコメントをもらいました。

そのとおおおおおおおおおおおおおおりだと思いました。

と同時に、僕は当面結婚する気も子供をつくる気もないので、「俺は子育てという冒険を逃しているんだろうか」とも思ったりします。



僕はたまたま、持って生まれた性格かなんなのか、この漫画↓から連想しやすいような「冒険」をしているかもしれません。


一応「安定」した企業を辞めて、世界中色々飛び回って、一つの組織に属さずに根無し草で、みたいな。




でも、それは、数ある「冒険」の形の一つでしかないと思います。






いろんな「冒険」があって良いと思う。





ビジネスを頑張る人がいて、国際協力を頑張る人がいて、民間で頑張る人がいて、官で頑張る人がいて、現場で頑張る人がいて、マネジメントで頑張る人がいて、学問の世界で頑張る人がいて、実務の世界で頑張る人がいて、それでいいと思う。

(参考→橋を架ける:http://d.hatena.ne.jp/Vivalavida0423/20140808/1407514726


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ニュートンは言いました。


「If I have seen further than others, it is by standing upon the shoulders of giants」





これは、学問の世界で、引用の方法を学ぶ時のPhylosophyとしてよく使われるものです。例えば、自分の論文に「格差が拡大している」と書くとします。これは、よくメディアとかで言われる事なので「当たり前」と思っている人が多いかもしれませんが、その裏で、何らかの手法(統計的、定性的、定量的、etc etc)によって調査を行い、「格差が拡大している」ということを実証した人がいるはずです。なので、ちゃんとその人に敬意を払い、「格差が拡大している」というのは自分が実証したんではなくて、Aさんが実証したことです、という事を書きましょう、ということです。


他人のアイデアをあたかも自分のごとく言ってはダメだよ、ということです。





(これは実は深い問題だと思います。
例えば「世界には未だに貧困が蔓延している」と書きたいとしましょう。その為には、だれかが「貧困が蔓延している」ということを実証した、ということを示さなければいけないんでしょうか。それは「もう一般に受け入れられた知識」じゃないんでしょうか?じゃあ「一般的に受け入れられた知識」と「誰かのオリジナルなアイデア」の区別は誰が行うの?みたいな疑問も出てきます。
そうすると、ほぼ何も書けなくなってしまいます。なぜなら、自分の考え、アイデア、思想、というのは、今までの環境(小さい頃お母さんに教わった事、小学校で教わった事、読んだ本、聞いた話、などなど)の産物だからです。自分の書く事を一言一句、そのアイデアがどこから来たのか、と考えていたら、何も書けなくなってしまいます。さらに、自分にそのアイデアを吹き込んでくれた人も、だれかからそのアイデアを教わった可能性が高いです。
これは、最近ノーベル賞でも話題になった、「特許」の話とも関係してきます。何が「本当にオリジナル」なアイデアなんでしょうか?「本当にオリジナル」に見えるアイデアも、既存のアイデアの組み合わせであることがほとんどのはずです。アイデアAとアイデアBを組み合わせてアイデアCをつくった人(Cさん)がいたとします。そして、アイデアCが認められて特許をとり、Cさんは大金持ちになったとします。CはAとBの組み合わせの成果です。なので、「組み合わせた」という所に価値があるので、Cに価値があるのは間違いないでしょう。でも、Cを構成しているAとBにも間違いなく価値があるはずです。Cさんだけが特許で多額の報酬を得るのはフェアなんでしょうか?一体誰が、Cは特許に値して、AとBは特許に値しない、と決めているんでしょうか。 と、これはこれで非常に面白い問題なので、また今度。笑)






話しがそれましたが、とりあえず、自分の知、というのは先人達の積み重ねの上に成り立っているんだよ、というのが「If I have seen further than others, it is by standing upon the shoulders of giants.」の意味でしょう。





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それと同じです。



いろんな場所で、いろんなタイプの「冒険」をしている人がいる。そうして世界は成り立っていると思う。そういう人達の「冒険」の上に、今の自分が在ると思う。






他人の「冒険」を真似する必要はないでしょう。もちろん、ロールモデルにするのは構いませんが。











「それぞれの冒険」があるはずです。あっていいはずです。