冒険のない世界

(若干、昨日の記事とかぶります。)

3年くらい前に会社を辞めたとき、「冒険がしたいんです」と言って辞めました。


退職届、みたいな書類を「一応書いてね」って手渡されて、そこに、「退職理由」という欄があって、確か「冒険するため。」ってだけ書いて出したのを覚えています。笑

こういうのがいると、「最近の若者は。。。」的な論調が出てきてもおかしくないでしょう。笑

すいませんでしたご迷惑をかけた方々。笑










でもそう、冒険がしたかったんです。なんか、先が見えてるのがつまらなかった。






もちろん、会社は世界中で色々な事業をしている会社だったので、仕事を通じて冒険はできたに違いありません。

仕事を通じて見える世界、身に付く見識はものすごく大きかったです。仕事は、好奇心を満たす上でとても楽しかったです。


だから、日本の会社では冒険はできない、というのは、完全に浅はかな考えでした。若かった。。。笑




注1:一番つまらなかったのは飲み会でした。おっさんたちの「だからお前はダメなんだ」的な説教が本当につまらなかったしうっとうしかった。金と時間の無駄にしか思えなかった。だから、2年の社会人生活を通じて、数える程しか行っていません。3、4回かな。笑   3時間の飲み会に3000円使うなら、1000円の本を3冊買って帰って3時間かけて読んだ方がずっと有意義だと思ってそうしてました。今もそう思ってます。笑 すいません、ここらへん、まだ生意気。笑   でも、こういう事も素直に書いておいたほうがフェアでしょう?笑

注2:誤解のない様に言っておくと、上司の言う事が意味ない、と言っている訳では全くありません。上の人から学んだ事は沢山あります。上司が言っていた言葉で、今でも大事にしている言葉はたくさんあります。例えば、「恐れが人間をダメにする」と言って、辛いのを覚悟で全く新しい部署に異動していった先輩とか、「辛くてもヘラヘラしている事と、男らしい決断をすることを忘れなければ大丈夫だぜ」とヘラヘラ言って、辞めるのを応援してくれた上司、「辞めるのかー、いや、それで良いんだと思うよ。勇気があって」と言ってくれた上司、「神は細部に宿る」と言って、些細に見える部分が実はカギを握ることを教えてくれた上司等、今思って見れば本当に良い人々に恵まれていたなあと思います。
ただ、それらは全て、仕事中にもらった言葉です。魂がこもっていた。飲み会で酔っぱらって憂さ晴らしみたいな説教中に言われた言葉ではない。言いたい事があるなら仕事中にしらふで言え、と。うわ、また生意気。笑 すいません。笑










でも、何故か、辞めた事は後悔していない。冒険がしたかったし、今、冒険している感じがする。だから今の人生に満足している。

1年先にどうなっているのか、全く見えない人生だけど、それが逆にワクワクする。もしかしたら職を失ってプー太郎になってしまうかもしれない、という不安はあるけど、でもワクワクの方が大きい。



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冒険したい! といって日本を飛び出して、ニカラグア、という中米の小さな貧しい国で働いていた時に、よく聞かれた事があります。


「お前はなんで日本みたいな国に生まれて、高い給料もらって働いて、良い暮らしをしてたのに、わざわざそれを捨てて、こんな熱いし、生活インフラ整ってないし、治安良くないし、給料低い場所に来たんだ」と。


「いやーそれの方がロマンがあると思うんだよ」と応えると


彼等は、「こいつ頭おかしーんじゃねーか」みたいな感じでみられるわけです。


そりゃそうです。彼等(の多く。全員ではない)はニカラグアを日本みたいな「発展した」国にしたいわけです。貧困のない、インフラの整った、便利で安定した社会に。

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昨日、英語で書いたんですが、近代化には、この「安定」と「冒険」という相反する二つのコンセプトが含まれている気がします。




大航海時代」、「アメリカンドリーム」、「起業家精神」、みたいな、近代化の礎になったスピリッツには、「冒険心」が見え隠れする。

いつの時代も「冒険家」は美化される気がします。




と同時に、大航海をして、アメリカンドリームを追いかけて、起業して、何を求めるのかというと、「裕福な暮らし」だったり「安定した暮らし」だったりする。

資本主義もそうです。企業家がリスクをとって事業を始めるところに資本主義のダイナミズムがあります。そうやって世界は富を蓄積してきました。(これは経済学的にちょっと正確な言い方じゃないかもしれませんが、ご容赦ください。)でも、資本主義が成熟した社会では、安定した雇用とか、安定した社会福祉、安定した家庭生活、のようなものが求められます。




「近代化」とか「発展」というパラダイムは、「冒険」を基礎に「安定」を志向するパラダイムなのかもしれません。



これは矛盾しているんでしょうか。



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少し話しは逸れますが(あとで戻るのでご勘弁を。笑)僕は勉強が結構好きです。まあ、こんな事を大晦日に書いてるくらいだから、そんなに勉強が嫌いな訳ではないことはご想像頂けるかと思います。笑




特に、僕は社会科学が好きです。経済学とか社会学とか心理学とか経営学とか教育学とか開発学とか人類学とか、そんなものに興味があります。



社会科学は、「科学」です。あたりまえですが。なので、基本的には、「論理的」でなければいけません。(これは意見が分かれる所かもしれませんが。)




さて話を戻します。

僕が最近、「学問」に物足りないなーと思っていたのが「冒険」です。



冒険したい!といって会社を辞めて、学問がおもしろいなーと思ってそれをやったら、「お、もしかしたら学問と冒険は相反するものなのかも」と思い出したわけです。



大学院の課題とかで論文を書いたりしていると、あたりまえだけど論理的に書かなければいけない。そうすると「冒険」できなくなってしまう。



だって「冒険したい」という欲求は理論的に導きだせるものではないから。


それは、何故か分からないけど心の底から沸き上がってくる様な、説明不能な「感情」です。





「学問」と「冒険」は矛盾するんでしょうか。

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よく、「ロジカルシンキング」みたいな言葉を聞きます。まあ、論理的思考、ということですよね。

前にも書きましたが、現代の社会って、理論的であることが凄く重視される社会の様な気がします。


学校や会社で、「なんでそうなのか説明しなさい」みたいに「理論的説明」を求められる事が多くあります。

「頭の良い人」というのは「論理的思考力のある人」と同義で使われることも多い様に思います。










もし、「論理」(つまり学問的考え方)と「冒険」が矛盾するなら、共存できないなら、現代社会は「冒険のない世界」になっていってるのかもしれません。

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僕が大好きな漫画があります。誰もが知っているであろう、これ!!!





ミーハーかもしれませんが、この漫画がなかったら、「冒険」できていなかったかもしれません。それくらい、この漫画には大きな影響を受けました。





この漫画は日本で空前のヒットを記録しているようですが、これは、日本社会が「冒険」を求めているからなんでしょうか?



日本は「冒険のない世界」なんでしょうか?

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2015年の僕のテーマはこれです。

「論理」と「冒険」を両立させること。 だって両方好きだから。



「論理」は「頭」の部分。
「冒険」は「心」の部分。





今は大学院生なので、「論理」の部分に少し「心」の部分を取り入れるように試行錯誤してみたい。
「論文」に「冒険」の要素を入れてみたい。














「冒険のない世界」にはしたくない。