真面目にテキトウする ①
僕のモットーの一つは、「真面目にテキトウする」です。
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「真面目」の語源を調べてみると面白い事がわかります。
まじめ、の「まじ」の部分は、「じっと見る」という意味みたいです。「まじまじと見る」の「まじ」。
参考:http://gogen-allguide.com/ma/majime.html
なので、「真面目」は「じっと見る目」、転じて、本気や誠実である様、ということみたいです。
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さて、「真面目」な事は「良い」ことなんでしょうか?
まあ、社会一般では、真面目な事は良いこととされている気がします。
なぜか。
それは、「真面目に、つまり、じっと見つめれば物事が『わかる』と考えられているから」ではないかと思います。(個人的に)
真面目に取り組めば物事がわかる。だから真面目に取り組めば勉強も仕事も人間関係もうまくいく。真面目に取り組めば成功する。
だから、真面目は良い事だ、と思われているんではないかと個人的に思います。
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「真面目に取り組む」ことが良い事であることに異論はありません。
一生懸命に、真面目に物事に取り組む姿勢は単純にカッコいい。(理論的説明は今回はなし。笑)
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ただ、真面目に取り組めば物事が「わかる」という部分に違和感があるのです。
真面目に取り組めば物事が「わかり」、勉強や仕事や人間関係が上手くいき、成功するんでしょうか?
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例を挙げます。
ヒトラーって、めちゃめちゃ真面目だったとおもいます。真面目に真面目に考えて、これだ!と思って大虐殺をした。当時の社会を「じっと見」て、これがおかしい!と思い(つまり、当時の問題が「分かった!」と思い、それの解決の為に大虐殺をした。
レーニンも、めちゃめちゃ真面目だったと思います。
ISISも同じです。
もう少し卑近な例で言うと、大企業で「新人は長時間労働してなんぼだー!」っていうおっさん。多分めちゃめちゃ真面目です。彼も、新人のとき長時間労働してた。それで、うまくいったから、新人の僕にもそうなってほしいと思って、アドバイスをしてくれている。
僕の事を「じっと見て」そして、「わかって」、そしてアドバイスをくれている。
観察する→わかる→解決策を提示し、実行する、という流れです。
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「じっと見る」のは大事だと思います。
でも、じっと見たからって「わかる」とは限らない。
じっと見て「わかった」と思ったものなんて、勘違いじゃないでしょうか?
結局、自分の都合の良い様に解釈してるだけじゃないでしょうか?
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僕は、「じっと見る」事が大好きです。社会とか、世界とか、一人の人とかを。そこの部分は真面目。
だけど、「じっと見た」後に、意識的に「わかった」と思わない様にしてる。
「んー、見たけど分かんないよねー、はっはっは。結局わかんないよねー、なはは。人生って難しいね、はは。結局好きにするしかないよねー。」
ハイ、テキトウ。
だから、「真面目にテキトウ」です。