おとなりさんちの教育方針 1
おとなりさんちに子供がいるとします。
お母さんはあまり教育熱心でなく、むしろ父親の教育レベルを越えてしまうとお父さんの尊厳が失われるので、あんまり勉強なんてしなくていいよ、と言っているとします。
大学も行かなくていいし、まあ、食っていければいいんじゃない、と。
たぶん、こういう人がおとなりさんでも、多くの人は、何もしないと思います。
わざわざおとなりさんちに乗り込んで、
「お母さん!こどもにとって教育は重要だからちゃんと大学まで行かせなさい!」
なんて言う人は少ないと思います。
さて、まあここまで読むと、ふーん、て感じですが、じゃあ、どこまで、「おとなりさんちの教育方針」が「ひどかった」ら、口出しするんでしょうか。
おとなりさんちの子供は、もう二十歳なのに九九も言えないし、実は漢字も読めない。
となると、おお、ちょっとこれは、と思いつつ、まだ口出しはしないかもしれません。
ただ、教育方針はそのうち主義主張や道徳的な部分にも繋がってきて、これがかなりのところにまでくると、口出しする余地がでてくるような気もします。
実はとなりの子は勉強したいのに、親が怖くてそれを言えなくて、仕方なく低レベルの教育に甘んじてる、とか、バイトしてお金貯めて勉強したいのにそれを親が許さなくて、外出も許してない、みたいになると、
これは、おおお、ちょとまてよ、となるかもしれない。
それが更に進んで、外から余計な情報を得られないようにニュースや新聞やネットを遮断して、更に更に、それでも外に出ようとする子供を、暴力や威嚇で家に留めようとしてたりすると、こりゃちょっとやべーぞ、異変が起こっとる、ちょっとなんとかせねば、となるかもしれない。
どこまでいったら、となりの家のドアを開けて「あんたのやってることはおかしい!」って言って良いんでしょうか。言うべきなんでしょうか。
まず警察に相談するべきなんでしょうか、地域の学校に相談すべきなんでしょうか、隣人に相談すべきなんでしょうか、それとも自分の判断で「えいっ」ってドアを開けちゃうべきなんでしょうか。
さらにさらに、これにはいろんな状況が考えられます。
上の例では、子供は勉強したくてもできない状況ですが、もしかしたら子供が「僕勉強なんてできなくても幸せだからいいもーん、庭で取れた野菜とってれば生きていけるし」と言ってる場合もあるかもしれないし、親が玄関にたっていて「うちの子供は勉強はできませんがあなたの子供よりずっと幸せです。うちの教育方針に口出ししないでください」と言うかもしれない。
これ、すごく難しい問題だなーと思います。
多分、この問題には、常に、「何が正しいのか」「どういう価値を善しとするのか」という哲学的な問題がつきまとうと思います。
だから、簡単に答えはでないし、答えなんてないのかもしれません。
でも、たぶん、「ベストな答え」はなくても「ベターな答え」は順次見つけていく事ができるかもしれないなー、なんても思います。
*これは、Nicaragua Reportです。