数値で計れないものをどう考えるのか

何をやるにしても、「やったこと」の「効果」を計れるようにすることは、そのやった事の善し悪しを評価する上で大事だと思います。




例えば、努力して行った勉強が本当に実力になったかどうかを計る為に「テスト」があったりします。

テストで良い点数をとった=努力して行った勉強が自分の身になっている事を確認できた

ということです。




僕が今扱っている「貧困削減」みたいな仕事についても同じ事が言えると思います。

例えば、ニカラグアのA圏のB地域が貧しいから、そこを対象に貧困削減プロジェクトをやろう、みたいなことがあったとします。

具体的には、農家や酪農家に対する教育プログラム(どうしたらもっと効率よく野菜や家畜を育てられるのかを教える)や、女性起業家に対する低利子の融資、インフラ整備、起業家への経営指導、などがあげられます。




これらのプロジェクトの目的は「貧困削減」です。(それだけじゃない場合もあるけど。。。)



なので、「貧困」が本当に「削減」されたのか、プロジェクトが終わった後でチェックする必要があります。




勉強してもテストの点が上がらなかったら、勉強の仕方が悪かったのかもしれませんし、ポイントを掴めてなかったのかもしれません。

おなじように、貧困削減プロジェクトを行っても貧困が削減されなかったら、なにかを見直す必要があります。

やった後の評価が大事です。









さて、じゃあ「貧困が削減されたかどうか」ってどうやって計るんでしょうか。

テストの点は、数字で出てくるので一目瞭然です。

でも、「貧困」は数字じゃないので計る事が難しいです。







じゃあ、計れる様にしたら良いんじゃないのか、ということで、いろんなアイデアが生まれます。

例えば、貧困を数値化、指標化したりします。詳しくはこちら。Wikipedia の貧困のページ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A7%E5%9B%B0



例えば、1日1、25ドル以下で暮らす人を「貧困」と呼ぶ事にしたり、

いやいや、お金だけで貧困を定義するのはおかしいでしょ、ということで平均余命とか教育水準、識字率を組み合わせて「人間開発指数」みたいなのが作られたりします。




こういう数値が、プロジェクトの前と後を比べて、改善していたらプロジェクトは成功だったと言えるし、改善していなかったら、何かを見直す必要がある、と言えるでしょう。

やったことのが本当に意味があったのかどうか確かめる為にも、指標を設けて、それをチェックする、というのは大事な事でしょう。だから、こういう指標を設ける事には非常に意味があると思います。






さてさて、テストの話に戻ります。


言うまでもなく、テストの点数は人間の全てではありません。テストの点数が悪くても素晴らしい人は沢山いるし、テストがスゲーできてもマジウザな人はたくさんいます。笑







一般化すると、数値で計れないものがある、ということです。

でも、繰り返しますが数値も大事です。上に書いた様に、効果を計る、という意味で。





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今の世の中、「見える化」とか「アカウンタビリティ」ということがよく言われます。

それは、簡単に言えば、「やった事がきちんと客観的に見えるようにしてね」ということです。

それは、(政治家とかの)汚職を防ぐ為であり、(いろんな組織の)不正をなくす為であり、(会社の)株主が投資判断をしやすくする為であり、(公共事業の)税金の使われかたが本当に効果的なのかを国民が判断して民主主義に反映する為、だと思います。


それはすごく大事な事です。







でも、「見える」為には、「客観的な判断基準」が必要で、それは「数値」です。




そこでは、「数値には現れないけど、大事なもの」は反映されません。





でも、人間本当に大事なものは数値で計れなかったりします。









数字で計れないものは、どう「評価」していったらいいんでしょうか。

はたまた、「評価」なんてする必要はないんでしょうか。