人の裏側にあるもの 〜革命を戦った人達〜

ちょっと前、ニカラグアの偉い人達と仕事をさせてもらえる機会がありました。偉い人達っていうのは、政府のお偉いさんの人達。


外務大臣とお仕事した時。(ちょっとした自慢?笑)

(*プライバシーとか情報保護の問題もある為、写真は加工してあります。)






さて、一般に、政府の人達というのは批判されがちだと思いますが、ニカラグアの政府の人達も例外ではありません。

ニカラグアの現在の政府は左派政権で、キューバベネズエラと仲が良く、反米です。

社会主義的政策をとっていて、票を集める為にばらまき的な事もやっている(例えば、与党を応援するイベントに出席した数の多い人から物資を配る、とか)し、キリスト教会や大企業との癒着(如何なる理由であれ(レイプでも、母体の生命が危険にさらされていても)中絶が禁止なのはキリスト協会との関係が大きい)もあるようです。(詳しい話はまた別の記事で。)

2011年の選挙では、憲法で禁じられている大統領の再選を実施し、批判が高まっています。それで、ニカラグアへの援助を中止した国際協力機関もあります。

ニカラグアの教育水準の高い人々は、大体政府を批判します。

欧米諸国も、もちろん批判します。民主主義的じゃない、と言って。











さてさて、少し僕の意見を述べます。


僕も、批判の大部分は的を得ていると思います。確かに、もっと上手くやれる部分があると思うし、政府が腐敗している部分もあるし、政府が富を搾取している面は大いにあると思う。


だから、それらは改善しなければなりません。


例えば、警察の腐敗具合は激しいです。例えば、あるとき、うちのNGOが融資していた小規模小売店に泥棒が入りました。犯人は警察の親戚でした。


売店の店長は言いました。「仕方ないよ。警察に言ってももみ消されるだけだから。警察に苦情を言って目をつけられる方が怖いから、また1からやり直すよ。だから返済が遅れるよ。すいません」


こういうことは、多分途上国(と呼ばれる国々。一般化してはいけないですが。)では沢山あります。でも、やはり、あきれかえってしまう。

こういうことがあちこちで起こると、「努力して一生懸命働いても無駄」「努力して一生懸命働くよりも警察に胡麻をすって気に入られる方が得」という価値観が社会に醸成されてしまいます。

これでは社会の発展は望めません。


なので、当然、こういう事態はなくしてゆくべきです。










が。










今の政府の幹部の人達は、皆、「革命を戦った人達」です。


命を懸けて独裁政権を倒して(一応)民主主義を勝ち取った人達です。


仕事を通じて、政府の幹部の人々と色々話しましたが、彼等の話は壮絶です。






彼等は皆、幾人もの家族や友人を拷問や暗殺で失っています。

もちろん、彼等自身も命の危険を感じた事がある人ばかりです。拷問を受けた人もいます。当時の拷問方法の一つは、下腹部をえぐり取る、というものだったらしい。下腹部をえぐり取られて生殖機能を失った人とも話をしました。

在日ニカラグア大使館の領事の女性は、19歳で100人のゲリラ部隊を率いていました。


ゲリラ戦争というのは過酷で、何日も山の中で野宿しながら、ほとんど飲まず食わずで相手部隊のスキを探して、相手の何十分の一の戦力で奇襲をかける戦い方です。






今の政府の人達は皆、そういう過酷な戦いを生き抜いてきた人達です。





さて。




彼等は、そういう戦いを経ずに革命の恩恵に預かった人達より裕福な暮らしをする権利はないんでしょうか?



彼等は、今、豪邸に住み、何人もの召使いを使い、高級車に乗り、一般庶民とは違う世界の暮らしをしています。






でも、彼等の話を聞くと、それくらいの裕福な暮らしに値するだけの事をしてきたような気もしてきます。


彼等が一般庶民より裕福な暮らしをしているのは「搾取」なんでしょうか。正当な仕事の「対価」とは考えられないんでしょうか。


国際機関の職員はニカラグアの一般庶民より圧倒的に裕福な暮らしをしていますが、彼等の給料は、各国の分担金から払われています。各国の分担金というのは、一般庶民が払っている各国の税金です。
国際機関の職員が大して意義のない仕事をしていたとしたら、それは「搾取」ではないんでしょうか。



ましてや、僕みたいに、食うものにも寝る場所にも困った事のない、命を懸けて何かをしたことなんて当然ない、ぬくぬくと育ってきた若造が、あーだこーだ言う権利はあるんでしょうか。




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一般に、人は、他人の「現在」を見てその人の事を判断する様に思います。




「今」怠惰な人は、「その人が」怠惰かの様に見えます。


「今」てきぱき仕事をこなしている人は、「その人が」デキル人かの様に見えます。


「今」人付き合いが悪い人は、「その人が」無愛想かの様に見えます。









でも、人間だれしも「今」表面には現れていない、「過去」や「裏の顔」があるはずです。








誰かと出会ったとき。何かを見たとき。今現在、表面に現れているもの以外にも思いを馳せ、考慮に入れられる余裕をいつも持っておきたいものです。






(何回も繰り返しますが、ニカラグアの今の状況を肯定している訳ではありません。実際、修正すべき点が沢山ある様に思います。ただ、この記事は、人が他人をどう判断するかについてのちょっとした心理学的な考察です。これは、こないだの「議論の仕方」の記事でも触れた、Availability Heuristicの話と繋がってくると思いますが、それについてはまた今度☆)