好奇心の方向 〜フィリピン その2〜

さて、昨日の記事で、フィリピン、レイテ島で毎年の様に台風の直撃を受け、貧しい生活を強いられている農民の人達は「本当であれば良い家に住み、車を持ち、良い服を来てバーを渡り歩きたいのかもしれません」と書きました。



これは、ちょっと嘘です。嘘じゃないですが、ちょっと書き方が自分の感覚とずれています。

本当なら

「彼等はほぼ確実に良い家に住み、車を持ち、良い服を来てバーを渡り歩きたいと思っているだろう」

と書くべきでした。







そう、「『何も持たない』という生き方」なんて甘ったれた事は、先進国に生まれ、何の物的不自由もなく今まで生きてきた温室育ちの若造だから言えるんです。





持ちたくても持てなくて育った人達、今までずっと貧しくて育った人達は、良い家に住み、良いモノを食べ、良いモノを来て、ニューヨークやパリやロンドンや東京のキラキラした街を闊歩したいに決まってます。

(もちろん全員が全員そうとは言いませんが。)







レイテの農民の人達に「子供はどこにいるの?」と聞くと、「マニラだよ。若者はマニラの都会の生活に憧れて、職を探しにいくんだよ」と言っていました。


「でもマニラは大気汚染がひどくて、住宅環境も悪くて、人も冷たくて、こっちのほうが全然豊かな暮らしできるんじゃない?」

と聞くと

「それでもやっぱり若者は都会に出たいのさ。マニラの狭い汚い部屋に住みながらでも、可能性溢れる都会の生活にかけてみたいのさ」

と言っていました。




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僕はモノ溢れる都会で育ったから田舎の素朴な生活を良いなあ、と思う。
彼等は素朴な田舎で育ったからモノ溢れる都会の生活を良いなあ、と思う。


同じ事です。どっちが良いとか悪いとか言う話ではないでしょう。


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人間って、つくづく「好奇心」の尽きない生き物だなあ、と思います。

まだ見ぬものを見てみたい、という欲望は人間の本能なのかもしれません。



例えば、地球外生命体を探す、みたいなプロジェクトはいろんな所で予算をつぎ込んで行われてると思いますが、それって見つかったからって何の為になるんでしょう?

実際、地球外生命体が見つかって、それを万が一地球に持ち帰ってきてしまったら、免疫がない人類はひとたまりもないから、やめた方が良い、と警告している人は沢山います。



けど、やめられない。


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きっと、人間って、立ち止まる事のできない生き物なんだなー、なんて思います。自転車みたいに、止まったら倒れてしまう。


別に、それが悪いとも全く思いません。別にたまに立ち止まるのも良いけど。





きっと、好奇心の方向が皆違うだけです。





まあ、その好奇心が正しい方向に向いているのかどうかは、時折考えてみても良い気がしますが。