僕たちには、見たいものしか見えない。 〜キューバ その2〜

さて、キューバに行ったのはコスタリカの大学院で勉強している時だったのですが、キューバはクラスメート達にとっても魅力的な行き先だったらしく、大学院の友達も沢山キューバに行ってました。

(僕はサルサのみが目的だったので、一人で行きました。笑)


さて、そうすると、コスタリカに帰ってきてから、皆で感想を共有するわけです。



そこで、極めて面白い発見が。




アメリカ人やカナダ人のコメントは大体こんなかんじ。

「いやー彼等は貧しいかもしれないし、政治的自由はないのかもしれないけど、音楽やアート、教養に溢れていて、みんな笑顔で楽しく毎日を過ごしていて本当に良い国だと思ったわ。やっぱり人生、物的豊かさじゃなくて精神的豊かさだよね。I love Cuba.」



まあこれ、ありがち、というか、一般的なコメントな気がします。



ただ、あるタイ人の友達が言ってた事がとても印象に残っています。


「彼等は表面的には音楽やアートで人生が彩られていて楽しく生きている様に見えたけど、政治的な自由もないし、表現、言論の自由も限られている。本当の意味で自由がない。だから目の奥になんか陰りがある様な気がしたわ。」






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僕は笑ってしまいました。同じ現実を見てここまで解釈に差が出るものか、と。笑

(もちろん、彼等がキューバで全く同じ現実を見た訳ではない事は考慮に入れる必要がありますが。。。キューバ国内の旅行先も違ったでしょうし、出会った人も違うでしょうから。もしかしたらたまたま、タイ人の友達が、あまり楽しそうな人達に出くわさなかっただけかもしれません。)



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タイでは去年、軍部によるクーデターがあり、政治、表現、言論の自由が極めて制限されているらしいです。王様に逆らう様な事を言ってしまうと、しょっぴかれる可能性があるらしい。(詳しくはないので間違ってたら言ってください。)

だから、タイ人の友達は、政治的自由に関して非常に敏感だったのかもしれません。



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さて、いままでも何回か紹介した下の図ですが、そういうことです。

(真ん中の文字はBとも13とも読める。前後の文脈によって見え方が違ってくる。)




同じものを見ても、解釈の仕方は人によって、また、コンテクストによって全く異なる、ということです。




人はあるものを見て、自分の都合の良いように解釈する、ということです。







別にこれは、全然悪い事だとは思いません。むしろ、楽しく生きる為に人間が本能的に備えた機能かもしれません。だって全ての事を自分の良いように解釈してたら人生ハッピーでしょ?








ただ、今自分が解釈している現実は、まったく別の解釈の仕方もあるかもしれないんだ、と思っておくと、更に人生面白くなるかもしれない、ということです。